触ることからはじめよう
by skyalley
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志ん生の時間

先週の残暑が嘘のように 急に肌寒くなった日の朝
大学生の淳君と 介護士の妙子さんが書の稽古に来られた


どちらかというと聞き上手の淳君に
運筆の練習をしながら
私たち二人の女性を愉しませる話をしてくださいな と
お願いすると
彼は 「母は昨日落語を聞きに言っていましたけどね・・・」
と困り顔
誰の何の噺を聴きに言ったか まったくご存じない とのこと


因みに 私は古今亭志ん生が大好きです
と言ってみたが お二人ともきょとんとしておられる
落語を聴いたことがない と仰るので
「聴いてみますか 志ん生?」 と誘ったら
意外な熱心さで 「はい!」 と来た
私の喜んだこと 喜んだこと
こんなに清々しい初秋の朝に 志ん生!


とはいえ 書の稽古に 志ん生師の落語・・・
日本語の勉強としては 
ある意味では申し分のない教材ではある
志ん生の言葉遣いの的確さ そして会話の間合い
私は『五代目 古今亭志ん生全集』
(川戸貞吉・桃原弘編 弘文出版 1978年)を書棚から取ってきて
「お直し」のページを開いた


   これは、ェェ文部大臣賞を 受賞(うけ)たんですがねェ
   これァ不思議なことがあるもんでね・・・・
   女郎(じょうろ)買いの噺に、大臣賞てえのァ変だけど・・・
   それがどういうもんですかなァ、ええ
   粋ですねェ 大臣さんも・・・


ってなふうに この本は
志ん生が話したとおりの言葉を
逐一逐語書き取ったという労作だ
これをお二人に紹介しながら 聴いて頂いた
もう一冊
「お直し」の主人公は太夫なので
『江戸吉原図聚』(三谷一馬著 立風書房 1977年)の
口絵にある太夫の絵もついでに開いた


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高校生の時の知り合いの方が
青山高校時代に小三治さんと同級生で
すでに落語研究会の一員であった小三治さんに
「落語は志ん生よ」 という一言に感化され
私にも勧めてくれて以来
折々志ん生を聴いてきた
落語を ではなく 志ん生を聴いてきた


「オアシを貰おうと思ったり
人よりエラクなろうてんで落語をやってんじゃねぇ
好きで好きでならねぇからやってきた道」
まさに「道楽」
私はそこを信用する


私はお若いお二人が
初めて落語を それも私が志ん生師の
それも廓ばなしを愉しんで聴いて下さることが嬉しくて
お茶まで淹れて差し上げた


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ぐい呑み片手にしみじみ噺を聴く季がやってきた
by skyalley | 2010-09-27 22:40 | こころへ教室日記
「ただする」「ひたすらする」に応えて

先週 教室を訪ねて下さった友から
きのうのブログ 「ただする」「ひたすらする」に応えて
以下のようなメールを頂きました
ご本人の御了解を頂き ご紹介させて頂きます

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


先生のブログの只管打座についての文章を拝見させていただき、
長倉洋海さんの話を思い出したことをお伝えしたいです。

禅に「ひたすら」うちこむのではなく、「ただ」自らに向かう。

人への思いやりの気持ちも、一生懸命に出す物ではない。
後先(見返りや効果効能)を求めて行うものではない。
子供に布団をかけてあげるような気持ちですよね。

でも、あれ子供じゃなくても、誰にでもしてあげたくなりますよね。
「あーあ、またこんな状態で寝ちゃって」と愚痴の1つぐらいは出てしまいますが・・・

先日、長倉さんのお話を聞く機会があって、
子供に毛布をかけてあげている親の無私、無償の優しい眼差しは、
人類がずっとそうやって続けてきたんだなと感じることのできる普遍性があるというものでした。
(世界中のそういう瞬間の写真もたくさん撮られてます)

僕は、すごくその話に感動をしました。

なぜなら、誰かに毛布をかけてあげる瞬間、
人の魂は、時間を超えて、空間を超えて、
つながることができるような気がしたのです。

高橋先生の、ひたすらではなくて、ただという文章からも、同じ感覚を受けました。
効果や見返りを求める気持ちではなくて、ただ、行う。
この間テレビでご一緒に拝見したヘレンケラーさんのいうところのServiceの精神も
同じところに帰結すると思います。

すこしおおげさですけど、それに近い感覚が、最近すごく気になっています。
すごく幼いときは、当たり前だったような感覚なので、それを取り戻したいし、
その感覚により忠実に従って行動したいと思うようになりました。

徳談会もすごくそのきっかけになりました。
年長者の方の箴言も、そこから利益を得ようという気持ちで聞くと、小言に響きかねませんよね。
ただ、その方の生き様を少しでも感じて自身に刻みこむような姿勢で、
これからも参加させていただきたいです。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



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知り合いの方が丹精されている草木の数々
元々植えた草木に 
主が知らぬ間に種が飛んできて 共生を始めています
一つ一つの鉢は 独立しているけれど
それぞれが見えないへその緒で繋がっていて
温室全体が 私には宇宙に見えます

ブログへの記載を快諾下さってありがとうございました
また一人 共に生きて行かれる方とのえにしに感謝して
by skyalley | 2010-09-26 15:02 | BUTTON日記
ただする ・ ひたすらする

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紀野一義 『ある前者の夜話 _ 正法眼蔵随聞記』
   (1983 筑摩書房)より



 「只」ということを、道元禅師は非常に重んじた。

「只」というのは、「もうそれしかない」ということである。

道元禅師は、坐禅するときに「只管打坐」といわれた。
「只管」これを、「ひたすら」と読む人がある。
しかし「ひたすら」と読んではいけないと私は思う。
「ひたすら」というと、それは一生懸命ということになる。
無理をしてでも一生懸命にやる。
それが「ひたすら」である。
「ひたすら勉強する」といえば、あまり勉強したくないけれども、
しかたがないとにかく一生懸命やらなくては、
という気持ちが入っている。
そこには一点、濁りがある。

 それと、「ただ坐る」というのはちがうわけである。
ただ勉強する、ただ何々する、
その「ただ」というのが大切なのである。

だからこの「只管打坐」は、ひたすら坐禅をする、
ということではないのである。
ひたすら坐禅をするのは、ほんとうの坐禅ではない。
ひたすらとか、ひたむきにというから、
坐ったらどうなるかなどということを考えるようになる。
それではならぬのである。

親切にするということを考えてみよう。
ひたすら親切にするというのと、
ただ親切にするというのとは違うであろう。
ひたすらと言う方は、
これはやっぱり親切にしてあげなくてはいけないな、
と考えながら親切にしている。

ただ親切にしているというのは、そういうひっかかりがまるっきりない。
引っかかりがあると、親切が親切にならぬのである。
ただ愛するというのもその中に入る。
私が好きな人だから、誰それを愛する、
これはひたすらの方に入る。
これは、いつ憎しみに転換するか分からない愛し方である。
そうでなくて、ただ愛するのである。
何か大きな力にうながされて、ただ愛するのである。(p。30)

ふつうは、ただやるというと、
そんな後先の考えもないようなのは駄目だという。
その辺りが仏法と世法のちがうところで、
世法からいえば、一生懸命、ひたすらというのがいいのである。
しかし仏法では、ただやるのがいい。
どちらがありがたいかは、やられる身になってみればすぐわかる。
一生懸命自分を叱咤激励して大事にされたのでは
やりきれないのである( p・32) 
by skyalley | 2010-09-24 20:16 | こころへ教室日記
明月 蔵 酒

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9月3日のブログに
妹が暮らす那須の高久で開かれていた小さな骨董市で
五客の湯飲みに出会った話を書いた


酒や雪や月 露 影 歌 客など
また一方で謀 嘆 無などの文字が
湯飲みの一面に並んでいる
漢詩なのか 歌意はまったくわからない
いろ かたち てざわり 字並び どれもすてきだ
骨董市の世話役の方に頼んで
とても良心的な値段で分けて頂いた


それから三年が経った
私はその湯飲みをたなごころに乗せるたび
一体どんなことが書かれているのだろうと
いつも思っていた
いつか教えて下さる方が現れたら
すぐに見て頂けるように と
すべての文字をノートに書き出して準備していた


それが ようやく解明される日が来た
友の千秋さんから
会社におられる中国人の同僚Cさんの話を折々うかがううちに
その方にその紙片を見せて
内容を教えて頂けないか と考えた
千秋さんにお願いすると早速引き受けて下さった


それからしばらく経って 千秋さんが
鞄からおもむろに出してこられたのは あの紙片だった
「あれは 大変有名な方の詩の一部分だそうですよ」
そう仰った千秋さんは
その紙片を前に 中国人のCさんに解釈をお願いしながら
書き取った内容や挿絵の意味を説明して下さった
ご親切にも Cさんご自身で翻訳し印字をして下さった紙も添えてあった

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作者は1036年生まれ
蘇東坡(ソ トウバ)と愛称される中国北宋代の政治家、詩人、書家


「后赤壁賦」

蘇 東 坡
 
是歳十月之望、歩自雪堂,將歸于臨皐.
二客從予,過黄泥之坂。霜露既降,木葉盡脱
人影在地,仰見明月。顧而樂之,行歌相答.
已而歎曰:、有客無酒,有酒無肴。月白風清,如此良夜何
客曰:今者薄暮,擧網得魚,巨口細鱗,状似松江之鱸.
顧安所得酒乎?歸而謀諸婦
婦曰: 我有斗酒,藏之久矣,以待子不時之需.


この年10月15日に
二人の客は蘇子とともに帰途に着いている
 初冬半ばにして木々はすっかり葉を落としている.
朋友の影が、立ち止まっては明月を仰ぎ見る.
少し歩いては又振り返って明月を賞し、
共に詩を朗々と詠じて行く

暫くして、蘇子は嘆いて謂う
せっかく友が尋ねて来てくれたというのに、
現在の境遇の私には、
酒も肴も用意できず、何のもてなしもできません。
今宵、月は白く輝き、長江を渡る風はきよく爽やかです
この美しい夜を如何に過ごしましょう

客は答えて
今しがた夕暮れ時に、仕掛けた網に魚が入っていました.
大きな口に細かな鱗があり、
まるで、松江にいる鱸(スズキ)のようです.
どこかにお酒を頼む所はないものでしょうか

蘇子が答えて
帰って我妻に相談してみましょう.
婦人は答えて言う
  我家には一斗のお酒があります、 長い間、
  私は、このお酒を蔵に貯蔵していました.
  蘇子が必要な時、いつでも用意できるように


           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こんな時代だからインターネットで検索すれば
詳しい内容を知ることはできる
しかし 
友の千秋さん 千秋さんの同僚のCさんの
お手を煩わせ お知恵を拝借したが
お二人の共同作業の結果
私の手元に届けられた二枚の紙が
とてもいとおしく なつかしい


Cさんの説明を聴きながら
意味や発音や歴史的背景や絵まで添えて下さった千秋さん
どこのだれからの依頼かもわからぬのに
千秋さんを信頼して 丁寧にお応え下さったCさん
昨夜の明月を仰ぎながら
お二人の間に交わされた時間を 会話を想った
オットが必要な時 いつでも用意できるお酒も
蔵も 私にはないけれど
あの月が 何よりの と
   

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by skyalley | 2010-09-23 15:45 | BUTTON日記
「こども・ことば・ひろば」
「こども・ことば・ひろば」は
3歳からのにほんごの教室です
話す・聴く・読む・書く この四つの力をつりあいよく伸ばし
母国語である日本語を 
感じ考え行動する つまり生きるための基になる支えとして
遣えるように さまざまな方法を通じて
身に付けて欲しいと思い 開いた教室です


先週の金曜日
4歳の宗祐(そうすけ)君と優仁(ひろと)の二人に
伝わるように「話す」こと を学んでもらうために
体を使ってひらがなを書いてもらうことにしました
最初は「い」の字
私が彼らの上から写真を撮って
「い」に見えるかどうかを 二人に見てもらいました

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あれぇ!? なんじゃこれ?!
宗祐君が「八みたいだね」と言いました
その通り どうして「い」じゃなくて「八」になっちゃったのか
考えてご覧
二人は黙って顔を見合わせています
「さっきは二人共 だまっていきなりごろんと横になったでしょ
 僕はこっちをするから 君はこっちをしてくれる?とか
 話し合って決めるといいと思うけどな」



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 「い」の一画目のはねるところも しっかりできています



こんどは「り」の字を作ってもらうことにしました
「ひろくん こっちのながいの してくれる?
 ぼく こっちのみじかいのするから」と宗祐君が提案する
「いいよ」 ひろ君が納得する

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こんどはいいようだ
私が写真を撮ると 二人は待ちきれず
カメラの近くに寄ってきた
「やったぁ おかあさん 見て見て!」
隣の部屋に控えるお母さん方にも褒めてもらった

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「じゃ こんどは少しむずかしいよ 《に》の字を作ってみようか」
二人は「いろはカード」の「に」の字を見て話している
「ね ね 僕がこれするでしょ
 宗祐君がこれするでしょ ひとり足りないよ」とひろ君
すると宗祐君
「じゃ (妹の)みいちゃんに頼もうよ」
お兄ちゃん達の「お遊び」に入れてもらいたくて
うずうずしていた美音(みね)ちゃんが飛びだしてきた


ひろ君とそうすけ君が考えを言葉にし合って
そしてそうすけ君が美音ちゃんにわかるように指示を出したので
「に」の字は晴れて うまく出来ました
みんな大喜び
「に」の字は ただ三画から成る文字ではなく
一画目をひろ君が長く そして丸みのある線を体で表し
二画目をそうすけ君が短くて少し上向き
三画目をみねちゃんが短くて少し下向き 
一画と一人が結びついたことで
後で文字の姿を思い出しやすければいいな と思っています

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               真剣そのもの! かわいい また来週ね
by skyalley | 2010-09-21 21:38 | こども・ことば・ひろば
「みんなでうんどうをたのしむかい」


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今年6月に
第10回徳談会の講師としてお迎えした石井先生
今日は先生が理事を務める保育園にお出ましになった
「運動会」ではなく
忍者の修行を通して「みんなでうんどうをたのしむかい」だ
娘と孫息子・颯太と朝9時半に わくわくして園に到着


颯太は すぐに飛び出て何かをするというよりは
どちらかというとまずは状況や空気を読んで控えめにという子
仕事を休んで繰り合わせた母親に
今日は朝からぺったり貼り付いている
「たのしむかい」は忍者の修行の場 という設定
先生方はみな黒い服で揃えておられる

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「では 忍者の先生をお呼びしま〜す」
司会者の声とたくさんの親子の拍手に促されて現れたのは
石井先生だった

お目が弱いため 
外での催事にいつもかけておられる真黒いサングラスに
黒の麻の長羽織
そして黒の細ズボンに黒の靴 という出で立ち
マイクを持つと開口一番
「先生は なぜか今日は寝坊をしてしまいました」とおっとり刀


一人ひとりの名前が紹介される中
園に通ってきている乳児から年長児までみなが
まずは園庭をぐるぅりと廻って顔見せ

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先生方が 日中の保育の後
遅くまで掛かって準備をされた競技の道具が運ばれ
工夫を凝らした趣向に
子供達の奮闘ぶりに歓声が上がったが 
勝ち負けを決める競技は一つも無かった
「できたお友達にだけ拍手をするのはいけないよぉ」
石井先生は時々マイクを取って感想を述べられる


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そんな雰囲気の中で 颯太は母親にしがみついて泣きだした
「やりたくないの?」と訊くと ゆっくり頷いた
この日をずっと楽しみにしていたが
何がそうさせたのかは にわかにはわからない
観客席に戻ると 
「そういう気持ち もも(母親)もわかるよ」 と
膝に抱かれて慰められていた


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一時間半の会が終わり 最後に石井先生が挨拶をなさった

 
 先生観ていて思うのは 
やりたいなぁと思ってもやれない子がいるんだねぇ 
だけども「明日はやれる」「明後日はやれる」
そういうふうに自分からやってみよう という気持ちを持ってねぇ 
そうしてみんなも一緒にやってみようよっていう気持ちをねぇ 
自分だけ愉しいっていうんじゃなくて 
みんなと一緒に愉しむということをね 
 
 観ていて気になったのは 
先生も愉しい お父さんお母さん達も愉しい 
けれども愉しくないなぁというひともいるっていうことでした 
それでも観ていて愉しかった ということであったらいいなぁ と 
またそういうことであっていいと思います 
これからも一緒に愉しめる会をいろいろやりたいと思います
 
 今日は忍者の先生達も色々工夫して愉しめるようにしたと思います
でもまだまだ工夫が足りない
私たちはこうやって子供達が 親たちが集まる場で 
何を感じていくのか 
そういうことを考えていきたいと思います
 
 私は 人の優劣を簡単に決めないで欲しい 
みんなが誇りを持って いっしょに人間として愉しめるような 
そういう機会をたくさん持って欲しい 
私たちは単なる「運動会」というそういうものではなく 
競争社会の中で人がちゃんと理解し合って 
力を合わせて社会を作っていきたいと思っています
 
 最後に子供達に 忍者の修行をした子供達に 
修行を終えたという証拠の巻物をお渡しします 
帰るときにもらって下さい 
その内容を読み上げます 
これは大人になったらいい記念になると思いますよ
 《こどもにんじゃのしゅぎょう よくがんばりました 
  平成22年9月18日》
では今日の愉しい「みんなでうんどうをたのしむかい」を
終わります



抱いていた颯太には
石井先生の言葉を同時通訳して伝えた
ようやく秋らしい清々しい日を迎えられた
颯太は園の門を出たところで すぐに巻物を開けて
声を出して一字一字を読み始めた
泣いてはいたが 彼なりに愉しんでいたのだろう
私たちに巻物を開いて見せてくれた後
「おなか すいた〜〜!」

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石井哲夫先生
83歳 
まだまだ現役でご活躍頂きたい
忍者もどきの勇姿を見送った


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by skyalley | 2010-09-18 23:27 | 徳談会日記
こころへの三重丸

中学生になった海人君は
まずは173㎝という身長を見込まれ
4月からバスケットクラブ員として日々練習に励んでいる
この夏の酷暑の中 冷房の無い体育館で
他の部員と共にどれほどの汗を流したことだろう
外気の方がよほど涼しいと感じたそうだ


ようやく半年が経って 学校生活にも慣れたところで
部活と勉強の両立というお決まりの
しかし本人にとっては大問題に直面している
夕食を終えてから勉強に来ても
とにかく 眠い
何としても 眠い


座ってノートを広げ 鉛筆を持つと まず大欠伸が出る
それが勉強を始めるいつもの合図のようなものだ
ところが数分も経たぬうちに
ノートの上には無意識が書かせたミミズがのたくり出す
「おいおい 海人や」
「ふぁ〜 ・・・」 寝言のような返事
そしてまたすぐに居眠り


気の毒な海人
昨日の英語の書き取りの時もそれを繰り返していた
何か工夫をしなければ・・・
彼にもそう促したが 声を出せば声が子守歌になるし
字を大きく書けば 長い直線を書く間に眠くなるし
はてさて どうしたものか


私は海人に
ホワイトボードに立って書いてみたらどうか と提案してみた
最初は「ええ〜〜っ 今日はもういいってことじゃないのぉ」
というような顔つきをしていたが
自分でここまでは書けるようにする と決めて
そのことだけは仕上げていくというのは どうかな
と言い添えると 「じゃ このページは全部書けるようにする」


すでに書道とフランス語の勉強を終えられた絵美さんが
帰り支度を始めたら 海人が「ええっ また僕ひとり残されるぅ」
絵美さんは
「じゃ 海人君ができるまで 待ってて上げるよ」
返ってプレッシャーをかけられた形になったが
いざ大きなホワイトボードに向かって書き始めたら
ん! いける!! と思ったらしく ペンがすらすらと動いた


さきほどまでの死ぬほどの眠気はどこへやら
7つの英文に挑戦し始めた
疑問符を忘れたり tooの前の句点を忘れたり
文章の初めが大文字になっていなかったり
主語が三人称単数の文章の動詞にsが付いていなかったり
はたまた名詞が複数になっていなかったり
と数々の不注意によるまちがいを繰り返した
間違いを指摘されるたびに
「ん〜〜 もう一回やる!」と食らい付く海人に
絵美さんも私も声援を惜しまなかった


間違いが一つもなくなるまで
海人は全文を全部で4回書き直した
恐る恐る「うん いいよ 見直ししたよ」と言う海人を前に
ゆっくりと大きな三重丸を書き PERFECT! と添えた
や〜〜〜〜ったぁ や〜〜〜〜ったぁ!!
私を優に見下ろすほど生長した海人が
無心に喜ぶ姿がとても可愛かった


結局 絵美さんは明日の仕事を控えているのに
夜11時までお付き合い下さった
「ね ね 写真撮ろうよ こんだけ頑張ったんだから
 記念に撮っておきたいよ」というご所望に応えて
蛍光灯の反射を避けて斜めからシャッターを切ったら
どうも私の構図が気に入らなかったらしく
自分でもう一枚 正面から撮り直していた


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翌日の絵美さんからのメールは
「私も達成感を味わいました」という件名で
「昨晩の海人君はとてもかっこよかったですね
睡魔と闘いながらも 
決めた目標をやり遂げるまで頑張る姿勢
私も海人君の笑顔を力に
 「只」やること を続けていきます」と記されていた
by skyalley | 2010-09-17 20:24 | こころへ教室日記
  つれそって

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難しい病を得られたご主人と
八王子に暮らす友人に電話をした
話すにしろ まして会うにしろ
互いになかなか好機が得られぬが
それでも声を聴かせて頂くのはうれしい


話している途中で 一瞬笑みの含まれた声に変わった
そのまま互いの近況など語り合っていたら
ご自身の目の触りでそろそろ病院にでかける時間だ と
たいそうな雨なので運転は気をつけて と声を掛けたら
こんなことを仰った


「今 おかしいのよ
 外出はできるだけ控えなければならない病気なので 
 ふだんは家で静かにしている夫が
 僕も一緒に行って どこかで時間を潰そうかな と言いだしたの
 そうしたら 何を着ていこうかと
 さっきからわたくしの目の前でね
 ひとりでファッションショーをしていたわけ」


60代と70代のご夫妻 半世紀以上を共に生きこられた人生
そしてお人柄が十分に忍ばれる
ご主人様のご容態の安定を
ご看病の友人のご自愛を祈って電話を切った
自分の声の余韻が残るほど 涼やかな雨の午後だ
by skyalley | 2010-09-16 14:54 | ひと
甘露 甘露! 


9月5日の徳談会の前日
いつもお運び下さっている村尾清一氏(89)から
「この夏 冷房の部屋で四六時中読書をしていたら
 膝の神経痛が悪化してしまい
 明日の徳談会には行く予定をしていたが
 残念ながら出かけられなくなりました」という電話を頂いた

本当に残念なことであったが
ご自愛 ご養生を祈って電話を切った
それから数日して また電話を頂いた
「つれあいの郷の岡山から
8日朝にマスカットを届けてもらうように手配しました
この暑いのに 徳談会のために
あなたががんばっておられたのに
出席できなかったお詫びの印です」

私は大層恐縮しながらも
その日は早朝から宅配便を待っていた
すると 届きました 届きました
そのエメラルド色のお姿が表れるまでに
何と大切に包装されていたことか
一度開封してから 私はもう一度戻して写真を撮った

マスカット オブ アレキサンドリアを調べてみた
エジプト原産の非常に古い品種で、「ブドウの女王」の異名を持つ
品種としては紀元前より現在に至るまで
連綿と続く非常に古いものであるが
高級品種であり続けている
1886年に岡山県栢谷村の山内善男と大森熊太郎が
士族授産の一環として
1880年頃に兵庫県稲美町に開設された官営の「播州葡萄園」から
苗木と栽培技術を持ち帰り
ガラス温室による栽培を成功させた
当時マスカット一箱が米一俵と同じ値段で売れたという
岡山は栽培に適していた地であったことから
その後は露地栽培にも成功し
今日では日本産マスカット・オブ・アレキサンドリアの殆どを
この地が産出する
この他の地域では気候や地質が合わず
マスカット・オブ・アレキサンドリアは根付かなかった


村尾氏には
「大変甘露でした
 それにしても葡萄が あれほど丁寧にきれいに包装されていて!
 産後の私でさえあんなに大切にしてもらったことはありません」
とお伝えすると
彼はとてもうれしそうに「よかった よかった」と繰り返された


保育園から帰ってきた孫息子に
早速宅配便の箱を開封させてみた
家族が帰り みな感激
泊まりがけで遊びに来た長女にもお裾分け
酷暑の中 ご参会下さった皆様にもお分けしたかったが
その日のうちに 一家で豪快に完食致しました
ごちそうさまでした


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三校時代の先輩でおられるという聖路加病院の日野原先生(99)が
ニューヨークにまで行って舞台に立たれた姿をテレビでご覧になり
「僕も日野原さんに見習って
最後までできることはしようと思っているよ
10月の徳談会には行かせてもらいます」と仰って下さった村尾氏
どうか膝のお痛みが鎮まりますように
by skyalley | 2010-09-14 02:59 | 徳談会日記
第11回徳談会への感想 3−①


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高橋由紀子(50代)

先日配布されたシスター成瀬のレジュメに 
戦後65年「第二のスタートラインに」立つ日本
という視座から 以下のような考察が記されていた



憲法9条にみる非戦国家
非核三原則国家 加えて基地のない国
保障条約の棄権国がこの時代に存在するという
無抵抗の不条理を良識とする国が存在する
この仮説が「歴史に真実」を投げ掛けるのではないか
冒険かも知れない
しかしこのような無防備国家が
現実に機能していることを世界に知らせるならば
「平和」の実証的価値になる



この部分に触れてシスターは 更に
「このことによって命を亡くした国であっても歴史には残ります
犠牲となってもいいじゃないですか」と言い添えた
穏やかながら 固い信念の響きがあった

私は兼ねてから全く同じ考えを持ってはいたが
この考えを折に触れて話すと
必ず返ってくる問いがあった
「もし攻めてきたどうするのか それは理想に過ぎない」
 
判で押したようなこの即座の問いに対し
「しかし 理想は 実現不可能と言う意味ではない
善と思うならば 可能性にかけて実行するしかない」
こんな感情的な自分の返答にも常に苛立ちを覚えていた

日本語は主語が無くても話せる 書ける
「もし攻めてきたどうするのか」
いったい「誰が」攻めてくるのか
そう問うひとの心の中の仮想敵国である

そう問うひとの心の中に「敵国」の考えが無ければ
その問いは出てくることは考え難い
争いは「心の中に仮想敵国」を抱いている人
その人の心の中にすでにある

シスター成瀬の「戦争と平和を思う」のご講義のレジュメには
「平和とは
 多元主義の中の統合の容認である
 統一が独裁・戦争の素因となるのに対して
 統合とは違いを知る叡智であり 仮想敵性視野からの離脱である」
とも記されていた

また戦争について一言こうも仰った
「戦争とは 敵を作ることです」
「攻められたらどうするのか」その言葉の中にはすでに
敵を仮想する心がある
そのことに気づかなければ いつまでたっても争いは絶えない
私の憤りや苛立ちの原因は
その非寛容さや その不実に発していたのだと得心した





「仮想敵性視野からの離脱」
戦前・戦中・戦後の80年を生き抜き
なお現役の教育家として
使命を果たしつつあるシスター成瀬から受けた啓示であった

徳談会の夜 
礼拝に遅刻をさせてしまったことにも触れ礼状を認めると
シスター成瀬はメールで
「今日お便りに接し思いをお伝えする暇もなく
次の講話に取り組んでおります。
日を改めてお便りさせて下さいませ。
赤トンボを待ちながら」との返信を すぐに下さった

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by skyalley | 2010-09-12 21:12 | 徳談会日記