触ることからはじめよう
by skyalley
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
<   2010年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧
南直哉氏講演 「それがなかったらアウト」

29日夜 新宿の紀伊國屋ホールで
青森恐山の山主代理
南 直哉(じきさい)氏の講演会があった


曰く
「仏教では
 人生はせつなくて哀しくて苦しくて辛いものと断じている
 ならば 
 最後まで勇気を持ってどうやって生きるか
 これが大切です」


「幽霊はいてもいなくてもどうでもいい
 が 魂は他者との関係の中でしか育たない
 だってそうですよ
 そうでしょう
 どうみたってそうでしょう」


「(息子を観ていて)私が思うに 
 赤ん坊が笑うのは
 あれは よろしくねぇ と 媚びてるんです
 遺伝子のレベルで そうするようになっているんです
 これでかいですよ」


「魂の種を植えてくれるのは母親です
 ただ ぼろっと 人は
 これほど無意味で無力に生まれてくる存在です
 親や身近な人に よく生まれてきました という受け皿
 これが無くて
 知らないよ といわれたらアウトです」


「母親の《愛情》という物凄い権力で
 あなたのことは私が一番よく知っている と育てられた子
 独裁者の父親に育てられた子
 互いに愛している 愛されていると思っているが
 言うことをきいたら という取引上の関係です
 こどもはやがて 荒れる か 引き籠もります」


「誰かに そこにいてくれるだけでうれしい と
 言ってもらわない限り 
 人は生きていけんのです」


大きめの扇子を使いながら
講談師さながらの南氏の講話は 
実に説得力があり
同行した長女と共に満足して帰途に着いた


なおこの時の講演録を基に
来年新潮社より新書として刊行予定とのこと
それにしても 書いて良し
(「恐山あれこれ日記」 http://indai.blog.ocn.ne.jp/)
話して尚良し の南氏であった
by skyalley | 2010-07-31 11:35 | ひと
好きなこと「ゆめにみてね」

4歳の孫息子 颯太は
相変わらずのウルトラマン・ファン
「夢の中でウルトラマンになって 怪獣と戦ってたよ」
母親のももが颯太に そう話していた
すごいぞ わたし!  颯太はそんな顔をしていた


颯太の祖父であるオットは
「戦いはきらい」と宣言している
私も 勧善懲悪の話は面白くないし
戦うことも好きではないから
颯太のウルトラマン熱にはつきあってこなかった


ところが いつぞや那須に暮らす妹が
私のそんな態度を知って 私にこう諭した
「自分の好きな物を
 自分の好きな人にも気に入ってもらいたい
 そんな颯太の気持ちをわかってやって」 


先日 朝 保育園に行く前に
颯太がウルトラマンのdvdを観ていた
「かっくん(私の渾名)もみたい?」と訊かれた
私は妹の言葉を思い出して
控えめではあったが「うん」と応えてみた


颯太は自分の好きな部分まで
映像を戻してくれて 「いっしょにみようっ!」
お薦めのところが終わると「もういっかいみたい?」
「・・・うん」
「ね かっこいいでちょ うるとらまん!」 ご満悦


母ももに促されて 
登園のため自転車に乗せられた颯太に
「いってらっしゃ〜い たのしんできてね〜」と声を掛けると
「かっくぅん うるとらまん ゆめにみてね〜!」と返ってきた
   ・・・ ゆめにみてね・・・?!


大好きになると 夢にまでみる ということを
母ももに聞いていた颯太だった
ウルトラマンが好きになったなら
きっと夢に見るはず
「ゆめにみてねぇ!」


f0085284_0384412.jpg



妹に そして颯太に また教えられた
by skyalley | 2010-07-31 00:30 | 孫息子・颯太言葉ノォト
颯太初めての音楽会へ


7月22日 木曜日
東京オペラシティの近江楽堂で
「母と子の生活研究所」主催「わくわくコンサート」が開かれた


「母と子の生活研究所」は
1982年に始まった「母と子のプレイルーム」を母体に設立
子ども、母親、子育てに関心があり 研究所の趣旨に賛同し
活動に参加する研究員が研鑽を積んでおられるとのこと


ホームページには次の言葉が掲げられている


  子どもは いのちに溢れ 絶えず伸びようとしている。
  それを受けとめ 信じ 愛情をもって支えていこう
  どの子どもも 生きることを喜び
  生きる力を身につけていってほしい
  その成長に大きな役割をもつ母親はじめ
  周囲の望ましいあり方を追求し
  実践し 伝え 広げていきたい


そして
  これは おとな自身の 社会の成長にもつながる
と結ばれている


研究所員のお一人 石川克子先生にお誘い頂いて
孫息子の颯太といっしょにコンサートにでかけた
石川先生は颯太が保育園でご縁に恵まれた人生最初の師 


数日前から
「いしかわせんせいのわくわくこんさーとにいくんだよ」
と周囲のだれかれ構わずに話して 楽しみにしてきた
当日は猛暑の昼過ぎ
最寄りの駅までのタクシーを待つ間も
お向かいの酒屋さんのお兄さんに
「いしかわせんせいのわくわくこんさーとにいくんだよ
 いっしょにいくぅ?」と声を掛けていた


初めて行ったオペラシティ
中庭に立っていた鋼鉄の巨人は
どうやらで空に向かってずっと歌っている
颯太にそれを告げると 
彼は声の出所を確かめに 巨人に近づいていった
コンサートホールに行くために
ビルの3階に登ったときも
巨人を見下ろして じっと耳を澄ませていた

f0085284_23491166.jpg

f0085284_23493190.jpg

f0085284_23494611.jpg



会場に着くと 受付に石川先生のお姿!
先生もすぐに気付いて駆け寄って下さった
しゃがんで颯太を抱き寄せられ
「会いたかったよ 颯太君 ひさしぶりだったね」
そして 用意してきて下さった颯太への手紙や
先生のご主人お手製の折り紙を手渡して下さった

 
f0085284_2348168.jpg



音楽会の内容は
・ ミュージックシアター   「スイミー」
・ ヴァイオリン・マリンバ演奏 
  シンコペィティッド・クロック
  剣の舞、くまんばちは飛ぶ、ラルゴ
・ リズムであそぼう   子象の行進
・ みんなでうたおう   線路はつづくよどこまでも   

薄田 真    ヴァイオリン
薄田 真樹    マリンバ
石川 智映子  マリンバ

f0085284_23501197.jpg



颯太は一番前の席を案内して頂き
ヴァイオリンやマリンバの演奏を 初めて間近で聴いた
途中で「母と子の生活研究所」員の方々による手遊びや
リズム遊びなどもあり
颯太と また会場の多くの親子と共に楽しんでいる間に
あっという間の一時間が経った


初台から千歳船橋まで
暑さの和らぐ気配の全くない炎天を移動し
やっと家に辿り着いたとき
先に家の扉を開けた私の後ろで
「らんら らんら らぁ 
 らんら らんら らぁ 
 らんら らんら らんら らんらんらぁ・・・」


暑さと愉しさに疲れ切っていると思っていた颯太の
張り切った歌声が聞こえた
コンサートの最後に
全員で歌った「線路はつづくよどこまでも」の
間奏のハミングだった


「わくわくコンサート」は
午前も午後の部も満員であったとのこと
「母と子の生活研究所」代表の伊藤 渥子先生を始め
石川先生 そして研究所の方々もさぞお疲れであったことだろう
「幼いころから子どもにはほんものにじかに触れてほしい」
との思いで活動してこられたという
「わくわくコンサート」に 心より感謝を申し上げたい

f0085284_23505124.jpg



(この記事は
 「母と子の生活研究所」代表の伊藤先生の御了解を頂き
 掲載させて頂きました
 また石川先生の御了解を頂き 先生から颯太への手紙も
 掲載させて頂きました
 ご快諾下さり ほんとうにありがとうございました)
by skyalley | 2010-07-30 23:53 | 孫息子・颯太言葉ノォト
同志


先日 友の公子さんと
那須に暮らす妹の家へ行った
2度目の訪問 2度目の宿泊

f0085284_1014484.jpg

f0085284_10115783.jpg
f0085284_10113874.jpg

真下の畑で作られた野菜を主にした料理のレストラン OUR'S DINING で 
山羊さんも気が向くと食事
少し食べてはまた周囲の緑を愛でる



前回お連れできなかった湯治場は
地中へ3階ほど下ったところにある


f0085284_103774.jpg



公子さんはカメラを持ち込んで
私たち姉妹を撮って下さった
「風呂場にカメラを持ち込む人は少ないから
写真はあとでいつもみんなに喜ばれるのよ」 と

f0085284_1032615.jpg
 なるほど 至福


公子さんは 妹を「美智子ちゃん」と呼びならわし
妹が案内するところに信を置いて 同行し
数日を愉しんで帰京された
進んで関わりを持とうとする者同士
本当に信頼できる友同士が繋がることをしみじみ味わった


f0085284_10194853.jpg



それにしても
7月初めの那須行きであったが すでに高温多湿 
朝夕長袖を羽織らなければ という高地特有の涼味は
年々失せてしまった と妹
妹が暮らす黒磯は たまたま天皇家の避暑地の一つだが
土地の人も「冷房をいれなければ・・・」と嘆じているとのこと
黒磯も そんな土地に変わりつつある


しかし 亡父と共に移り住んで10年
妹は 山の暮らしになど全く知らぬ存ぜぬから始めて
稼業のパン屋A TABLE!の活動や日々の暮らしを通して
那須のすばらしい友や自然との関わりを結んできた
東京での暮らしから ちょっと息抜きを
という時に よきたしなみを持つ友人達にとっても
至福の場を築いてくれた妹に
感謝と共に あらためて尊敬の気持ちが湧く
by skyalley | 2010-07-29 10:12 | ひと
櫓の上の石井先生

第10回目の徳談会で
講演をして下さった石井哲夫先生の「嬉泉」で
夏祭りがありました


4歳の孫息子を「嬉泉」の保育園に迎えに行ってから
園庭で準備万端されていたお祭りに
オットと三人で でかけました


地味なしつらえですが
先生方が猛暑の中 保育の合間に用意して下さった
シャボン玉や輪投げ 滑り台 御神輿 花火

f0085284_22353045.jpg
f0085284_22292291.jpg
f0085284_22285756.jpg
f0085284_22303617.jpg
f0085284_223073.jpg


例年通り浴衣姿の石井先生も
櫓の上で子供達が叩く太鼓に合わせての撥捌き
目を細めておられました


7時の終演時間になっても暑さは収まりませんでしたが
石井先生 83歳の雄姿に励まされた夏祭り
帰宅してから孫息子とゆっくりお風呂で汗を流しました


f0085284_22272727.jpg

by skyalley | 2010-07-25 22:33 | 徳談会日記
 那須 鹿の湯 藤田屋


先週 友の公子さんと
那須の高久に住む妹を訪ねた
晴れ女だという彼女のお蔭で
大雨続きだった那須は快晴


妹の友で地元の観光案内業をされている方に薦められて
初めて「鹿の湯」の温泉町を歩いてみた
彼女自身が宿泊して よかった という宿も教えて頂いた
幾度も川の被害に遭っているため寂れた町並み

f0085284_13463560.jpg



元禄2年(1689)6月 芭蕉は
この地方の大庄屋・五左衛門宅に
弟子の曽良と共に二泊したという
句碑があちこちに建っている

     いしの香やなつ草あかく露あつし
     飛ぶものは雲ばかりなり石の上 


温泉というものは鹿が傷を癒すのに浸っているのを見て
発見されることが多いそうだが
ここもその由来をもち その名も「鹿の湯」
そのなかほどに「藤田屋」はあった

f0085284_1348915.jpg

f0085284_13504322.jpg


表にも裏にも気が配られ

f0085284_1350204.jpg
f0085284_13495868.jpg


夜にはこの景色をに灯りが灯るらしい

f0085284_13491863.jpg
f0085284_1348475.jpg



外観のしつらえだけで豊かな気持ちにさせるたたずまいに
公子さん 妹と 話が弾む
静かな坂道を 昼食の場へと歩みを早めた

f0085284_13471781.jpg



       湯を結ぶ 誓いも同じ 石清水 


芭蕉の気持ちがわかるような気がした
気心の知れたひととの数日の命の洗濯日を頂いたことに
ありがとう ありがとう
充電できた分 東京へ帰ったら お返しを!













      
by skyalley | 2010-07-21 13:59 |
人と人の間


f0085284_21541657.jpg



梅雨明けの日曜日
酷暑の中 自転車は諦め バスで満願寺にでかけた
写経の後
講話のために控え室におられた原子朗先生をお訪ねした


2日後 長野で宮澤賢治に関しての講演準備をなさっていた
私が手持ちの扇子で扇ぎ始めると
それを手に取った先生は 俳句を読んだ
「ゆかたきて ちちまつ いまへ あね いもと・・・ か  いいなぁ」


「ありがとうございます」
「え?!  誰の句?」
「・・・私の・・・ですが・・・」
「え あなたの? そおぉ?」
「97年に初めて先生とお会いしたときに
 裏にあるフランスのアイスクリーム屋さんの絵を先生に自慢したら
 先生は何の許可も無く
 そこにあった筆ペンで突然 書いたんです」
「そおぉ?」  まだ疑っておられる
「私の二人の娘が初めて浴衣を着たときに詠みました」
「ほぉ〜 そう ふぅん いいよ この扇子」
「ご署名がないから 誰の句か 誰の揮毫か わからないんです」
「いいよ 無くて そこがいいんだ」
「良寛さんみたいで?」
「そうそう」
扇ぎながら にやにやしておられる

f0085284_21493270.jpg

f0085284_2146847.jpg



外は緑したたる等々力渓谷
木々が風の姿を映し出している
先生がお茶菓子を分けて下さった
そろそろ講話の時間となり 先生と写経場へ


雑誌に写経のことが掲載されたとのこと
いつもより20名も多くの参加者があったそうだ
ショートパンツの太股顕わな娘有り
携帯電話のシャッター音を響かせる若者有り


講話の中で先生は 仰った
「人と人の 《間》が 人間です
 人と人が居ても それぞれが関わりを持とうとしなければ
 人ではない ということです」


明日から長野の別荘に二ヶ月籠もって
11月の個展の準備に掛かるそうだが
8月21日には東京に戻られ
等々力の満願寺で緑陰講座をされる


85歳の原先生 お元気でお過ごし頂きたい

f0085284_21473140.jpg
 


 
by skyalley | 2010-07-20 21:50 | 徳談会日記
猫ホイホイ の 佐々木家


先日 教室が急遽 子猫のお見合い現場となった
その様子は先週ブログに書いたが
捨て猫を里子に出した佐々木家では
まだ昂奮さめやらぬご様子だ


そもそも 佐々木英豊・明世ご夫妻
そしてご長男の宗歳氏・ご長女の彩(さえ)さんご一家は
実によく猫に好かれる
今までも何十匹と捨て猫を世話してこられた


この辺りの猫の世界では
「佐々木さんの家に行けば だいじょうぶ」
という暗黙の了解がなされているとしか思えない
しかし栃木に転勤された宗歳氏も捨て猫を救っておられる


土地ではなく やはり佐々木家のひとびとが
猫を引き寄せる何かを発しておられるのだろう
この前も 救われた猫がいて鰺(あじ)と名付けられた
その後に拾われた子分の子猫とよく遊んでいたそうだ


二匹の子猫が無事もらわれていった翌日
オットの指圧を受けに来られた明世さんが苦笑した
「ここへ来るときにね 農家で野菜を買ったの
 そしたらそこのご主人が さも困り果てたように言ったのよ」


     あ〜 猫が5匹もこども産んじゃって
     奥さん もらってくれないかなぁ
     参っちゃってるんだよなぁ・・・
     ちょっと見て行ってよ


その前日 やっとの思いで二匹の猫を送り出した明世さん
「ちょっと胸がいっぱいで・・・
 顔は見ないことにしたの
 帰りにグリーンクロス(動物病院)を紹介するわね」


昨日彩さんから写真と共にメールが届いた
   ブログ拝見しました。
   嬉しいながらも、子猫との別れを思い出し、
   ひとりホロリとなりました。


f0085284_88048.jpg

     
     我が家の鯵は、遊び相手が居なくなって
     寂しそうにしています。
     一緒に寝る相手も居ないので、
     グレープフルーツと。
by skyalley | 2010-07-08 08:09 | ひと
「みんなちがって」


日常のことばづかいを大切に
感じる力と考える力のつりあいを
という目標を明らかにした上で
3歳児からの「こども・ことば・ひろば」を開いてから
おかげさまで一年が経った


今では5人の子どもと毎週いっしょに日本語を学んでいる
とはいえ 3歳・4歳の生徒さんに それぞれ妹や弟 それにお母さん
つまり 1人が来る ということは 3人が来る ということである
いっぺんには目が行き届かないので
水曜と金曜日の二日間に分けて来て頂くことにした


しばらく前から
「にほんごであそぼ 絵あわせかるた」を教材に使っている
   雨降って地固まる
   一を聞いて十を知る のような諺
   さよなら三角 また来て四角
   恐れ入谷の鬼子母神 のような語呂のいい言葉
  春はあけぼの 夏はよる
  僕の前に道はない のような詩歌からの抜粋
など さまざまな言葉が
96枚・48組のかるた札に作られている


子供らは速い
すぐに憶える
口に乗せて 心地よいので尚更だ
誰かが問うた時にしか 意味を言わない
ただ復唱してもらう


ある日 子どもたちが着てきた服を話題にしていた
「あたしのは 何々が付いてるの」
「あたしのは 何々・・・」
「何にも付いてないじゃん」
キャラクターと言われる絵柄のことを言っている


またある日は筆記用具について言い合っていた
「消しゴムもあるんだよ ある?」 と隣の色鉛筆セットを見る
「これはまだ新しいけど そっちのはいっぱい折れてる」
褒めるならともかく そうでないなら 
他人の服や持ち物について
どっちがいいの悪いのと とやかく言うこたぁない と私は思う


絵あわせかるたは
一回に15組くらいを適当に選んでいるが
翌週は敢えて 金子みすずの
「みんなちがって みんないい」を新たに足した
椅子の上に3人の子どもに立ってもらってから
それぞれの服について 私が言った
「誰々は 刺繍の付いているスカートだね
 誰々は 絵が描いてあるTシャツ
 誰々は 英語が書いてあるTシャツ
 私のは縦の線と横の線がある格子縞のシャツ
 みんなちがっているけれど みんないいねぇ」


それからかるたをした
何度も復唱した
「みんなちがって みんないい」
そのうち 私が「みんな」と言いかけると
「ちがって みんないい」と被さるようにして言ってきた


それ以来 誰も
自分の服や持ち物と 他人のそれとを比べて
優劣を言うことがなくなった
それどころか
「先生のは水色のしましまできれいだね」
と言ってくれる子どもが現れた


「みんなちがって みんないい」
「みんなちがって みんないい」
繰り返し口にしていると
その言葉が 自身の思いに そして行為に為りうるのだな
と改めて言葉の力に驚かされた


   雨垂れ石を(うが)穿つ
   石の上にも三年
   亀の甲より年の功
   千里の道も一歩から
   棚から牡丹餅


これらの言葉が
かれらの人生において
10年後 30年後 50年後 80年後のある日 ある時
「なぁるほど あのことは このことを言っていたのか」
と思うときがあるのだろうか


徳談会で ピンチヒッターも含めて
二度の講演をして下さった日仏会館理事・小林善治先生は
「How are you? I'm fineなんていうのは
 いつまで憶えていたって たいした役には立たないけれど
 この頃になって(83歳) 
 子どもの頃に復唱させられた論語の一節に
 うぅん なぁるほど! と思い当たることがあるんだねぇ」
と 感心しておられた


f0085284_22171469.jpg
f0085284_22165351.jpg



 
by skyalley | 2010-07-06 22:17 | こども・ことば・ひろば
この世の「兄弟」

第2回の徳談会で話をして下さった松浦靖明氏
御歳91歳
今年の初めに「立派な方なので
ぜひ話をして頂くようお願いしてみては」とご紹介を頂き
千葉に暮らす辻井氏に便りを書き送った
するとすぐに 「2月の雪の日に転んだので
その怪我が治ったら連絡をします」とのお返事を下さった


その後 お加減はいかがであろうと思っていたところ
一昨日 先方からわざわざ電話を下さった
怪我は治ったが 心臓に苦しさがあるので
東京には出向くことができなくなった ということであった
最初にお話ししたときより 確かにお声が弱かった


辻井氏は松浦氏と共に海軍兵学校で学ばれた89歳
「せっかく松浦大兄にご紹介を頂いた徳談会に
 一度は顔を出させて頂きたいと思っておりましたが」
「松浦兄弟を通して毛筆の便りを下さった高橋さんに
 いつかお会いしたいと思っていますが」
徳談会へおいでになれぬことをとても残念に仰って下さった


東京へは行かれないが
折々思っていること 考えていること 伝えておきたいことなど
電話でお伝えしてもよろしいか とのお尋ねを頂いたので
「是非 お願い致します」とお応えした
「今日の所はご報告まで」と律義にご挨拶された


松浦氏に辻井氏からご連絡を頂いたことをお伝えすると
「さすがですな
 この歳になると それだけで気難しくもなるもの
 その上に病気を抱え込むと 人のことなど構ってはおられない
 それなのに 若い人に出来る限りのことをしようというのでしょう
 見習わんといけませんな」


お元気な頃は 
「どうしてもご馳走したい」という辻井氏が松浦氏を誘って
年に何度か日本橋の高島屋のレストランで落ち合い
必ずお子様ランチを注文なさったそうだ
その量といい デザートまで付いていて
「わたしらにはぴったりなんですわ
 二人で旗を立てたご飯を頂くのが嬉しくてね
 男の年寄りなんぞ しょうがないもんですわ」 
後輩とのデートを そう話しておられた松浦氏


徳談会より 会食ができなくなったことを
どんなに残念に思っておられるだろう
この世に生を受けて
互いに「兄弟」と呼び合う友を授かったお二人の
70年間のおつきあいを想う
by skyalley | 2010-07-05 03:56 | 徳談会日記