触ることからはじめよう
by skyalley
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「いや」と言える環境づくり

先週久しぶりに長女と次女が家に帰ってきました
彼女たちと三人でお茶をのんでいたときのことです

2ヶ月前に出産し我が家に帰っていた次女の希望で
家ではお米に麦を入れて炊くようになっていたのですが
長女が炊きあがった麦入りのご飯を見て急にこんなことを話しました

小さい頃 私が「お米に麦入れないといけないの」って母さんに訊いたら
すぐに麦を入れなくなった
私と母さんとの間に交わされた会話にしては
話がスムーズに運んだな って思ったのを思い出した・・・


長女が生まれた頃
オットは外仕事が多く
地方や海外に行くと数週間も帰ってこないことが普通でした

残念なことに母との折り合いが悪かった私は
実家に帰ることなどゆめゆめ思わず
出産後 一人で誰もいないアパートに帰りました
「はてさて これからどうしたら・・・」
長女を抱いて茫然と居間の真ん中に突っ立っていた自分の姿を思い出します

初めての育児 そしてすぐに仕事を始めたこともあり
私には気持ちの余裕はあまりありませんでした
保育園への送り迎えや仕事の準備など
段取りよく事を進めたいことが山ほどあるのに
新生児相手ではどうすることもできません
それでもそれを何とかしようといつも気が急いていました

娘に対してはゆっくり待ってやることよりも急かすことが多かった
「母さんはこれとこれとこれをしなくちゃならないから
 これとこれをしてね」と一方的に言ったり
「どうしたいの?」などと訊くこともなく
さっさと一人で物事を決めてしまうことが多かったので
娘はそれに否応なく従っていたはずです

本当はそうしたくはないのに 仕方がない 母さんが急いでいる
仕方がない 母さんが怒っている
いや と言えない場に晒されることが多かったはずの長女でした

そんなある日
彼女が私に尋ねたのが「麦をご飯に入れなくちゃいけないの」
という問いでした

私の実家では麦が多く入っているご飯でした
お弁当の時に同級生の真っ白いご飯がきれいに見えて
私はいつも自分のお弁当に引け目を感じていたものでした
真っ白いご飯がいいなぁ そう願っていたけれど
いざ自分が母親になってみると栄養を優先して麦が多いご飯を炊いていました

「麦はいや!」とまっすぐ私に言える環境を娘に作っていなかったのですから
娘は婉曲に「麦をご飯に入れなくちゃいけないの」と訊いたのでしょう
そう問われたときのことを私もよく覚えています

 あぁ 自分も嫌だったっけな

そう思い出してその時は栄養より娘の気持ちを優先しました
そしてすぐに麦をご飯に入れて炊くのを止めたのでした

真っ白のご飯を見た当時の娘は おやっと思ったに違いありません
それまではたいてい彼女が何か言ってもその通りにことが運ぶよりは
彼女の望まない方に話が行ってしまうことが多かったのですから
私が「麦は体にいいの」と言い放ったとしても
娘は驚かなかったでしょう
ところがすぐにご飯から麦が消えて真っ白のご飯になったのです
そのあたりの成り行きを娘は


   私と母さんとの間に交わされた会話にしては
   話がスムーズに運んだな って思った


そう言い表したのでした

話は変わりますが
スタジオジブリが『ゲド戦記』を映画化した記念として
先週の土曜日
新宿の紀伊國屋サザンシアターで開かれた
清水真砂子さんの講演会「『ゲド戦記』の世界」を聴きにでかけました

話の冒頭で長く児童文学の世界に深く関わってこられた清水さんが
「これからの子どもたちに最初に覚えてほしい言葉 それはNO! いや なのです」
とおっしゃったので私は胸を突かれました

「いや という言葉を
 お母さんやお父さん パパ、ママより先に覚えてほしいのです
 今それが言えないために苦しんでいる子どもたちがどれほどいるでしょう
 いやいや抱かれている子供 いやいや手をつながれている子供
 いや という言葉さえ言えたなら
 奈良の少年も放火に至らなくて済んだと思うのです」

そんなようなことを清水さんはおっしゃいました

いや! と言えるためには
そう言ってもいいのだ その選択肢もあるのだ という
ゆるやかな おだやかな環境に育たねば
子供には知り得ようもないことです

精神的な困難を抱えている患者達が共同生活をしている北海道のある施設では
昆布の販売を主に事業をしているのですが
そこには「安心してサボれる環境作り」という標語があるそうです
そのことをある人に教えて頂いたとき
私は感動に拍手喝采したものでした
それなのに自身の子供には 
いやなときにはいや と言える環境を充分に整えなかったことを
長女の言葉を聴いて気づかされました
彼女の子供時代の息苦しさを思い知らされた一言でした
by skyalley | 2006-06-28 01:05 | うちのひとびと
「初恋のきた道」からきたこと

彬彬有礼有情有意
人生在世要有志気
読書識字多長見識
能写会算是件好事
大事小情提筆就記
知今知古知天知地
一年四季春夏秋冬
東西南北四方天地
風霜雪雨事事有意


礼儀正しく 温かい気持ちを忘れずに
人 世に生まれたら 志をたてて
書を読み 字を習い 見識を広める
字が書け計算できるのは良いこと
どんなことも筆をとって記し
今と昔を知り 天と地を知る
一年の四季は春夏秋冬
天地の四方は東西南北
いつもどんなことも 心にとどめよう


中国の張芸諜(チャン・イーモウ)監督の作品「初恋のきた道」のヴィデオを
まだ観ていないと言っていた次女とぜひいっしょに観たいと思って
借りにでかけると
「ビデオ・DVD どれでもレンタル一本100円」という店を見つけました
運良く格安で借りられたのですが
娘は観る時間が取れなかったので
結局今回も私が一人でその作品を観ることになりました

数年前に観たときとても感動したのですが
いつかフランスに行って教室を という浮いた気持ちを返上して
ここで日本で教室の営みを続けていこうと決心がついたこともあってでしょう
小学校の真摯な先生夫婦が主人公となっているその作品を
更に深い感銘を持って味わいました

観終わった直後
娘に「やっぱりいいよぉ 母さんはDVDを買おうと思っている」と告げて
店にヴィデオを返却しに行ったら
その店はどうやら経営がうまくいっていなかったらしく
「ヴィデオ作品 どれでも一本100円で売ります」
という貼り紙に変わっていました
私は盗んだかのようにとても昂奮して店を後にしました

何度も繰り返し観よう
特に先生が僻地の村に赴任してきて学校を村人総出で建ててもらい
最初の国語の受業で幼い生徒達に復唱させていた文章を
もっと一語一語味わいたい
中国語でどう表すのかわからないけれど・・・などと思いながら
自転車を引きながら二軒先の古書店に行きました

駐輪して店頭の格安本の棚に目を向けた途端
赤に印字された「の」の字が目に飛び込んできました

   『初恋のきた道』

鮑 十(パオ・シー)が著した映画の基となった小説です
飛びつきました
勇んでページを繰ると 
何とありました!
今日の日記の最初に挙げた漢文です
先生が生徒達に復唱させた文です
教科書からの引用ではなく先生自身が生徒達に託した祈りの言葉です


彬彬有礼有情有意
人生在世要有志気
読書識字多長見識
能写会算是件好事
大事小情提筆就記
知今知古知天知地
一年四季春夏秋冬
東西南北四方天地
風霜雪雨事事有意


礼儀正しく 温かい気持ちを忘れずに
人 世に生まれたら 志をたてて
書を読み 字を習い 見識を広める
字が書け計算できるのは良いこと
どんなことも筆をとって記し
今と昔を知り 天と地を知る
一年の四季は春夏秋冬
天地の四方は東西南北
いつもどんなことも 心にとどめよう
 


何度も読みながら
映画の中で
村中に響いていた先生と生徒達の澄んだ声が聞こえてきました

計算には弱い私ですが
これらの言葉は
教室の営みを続けていこうとしている私にも託された祈りだと
そう強く感じました
by skyalley | 2006-06-26 18:15
誕生に立ち会う

お弟子さんの一人にマイム役者の小野寺修二さんがいます
つれあいの藤田桃子さんと男性3人でマイム集団「水と油」を結成し
約10年間国内外で活躍してきて数々の受賞にも恵まれました

私は舞台のプロデューサーを務めるオットを通して小野寺さんと知り合い
それから桃子さんと知り合いました
特に桃子さんのお母さんが
長年私の教室で書を学んでいらっしゃった藤田久子さんであることが
偶然にわかって以来
修二さん・桃子さんをますます近しく親しく感じてきました

今年の4月「水と油」が充電を目的に休業に入ったのをきっかけに
修二さんは9月から文化庁の奨学金制度を利用しフランスへ行き
彼の地での演劇世界探訪・体験留学を予定しています
その準備として彼は私と一緒にフランス語の勉強を始めました
一人旅立つ修二さんとは別に
桃子さんも劇団の解散後 ご自分の道を歩み始めることになりました

最近勉強に見える修二さんが何となくそわそわし出したと思ったら
桃子さんが解散後初めての舞台に立つとのこと
それも「立つ女」という題の作品です
10年間台詞のないマイム役者であった桃子さんが舞台で言葉を使う 
という初めての試みでもあることが
演出協力をしている彼を更に緊張させているようす

彼が「立つ女」のちらしを持ってきてくれました
裏を返すと桃子さんが書かれたという文が端に小さく印字されていました



家を出る

すたすた歩く

立ち止まる

手を伸ばして花をつかむ

じっと見るじっと嗅ぐじっと入る

唐突に

花びらをむしる

一枚一枚一枚むしる

全てをさらい葉と茎と緑にする

また歩く

歩きはいくぶん緩くなる
 



何が言いたいのだか全然わからないまま それでも
「立つ」ことを決め
立とうとしている真っただなかの桃子さんを感じて
読み終えるとある種の力が感じられました

「いいね これ 好き」と修二さんに言うと
「そうですかぁ みんなに何だからわかんないって言われて
 辞めたらって言っても本人言うこと聞かなくて
 載せる って」
「そうかな いいよこれ 好きだな
 何をしたいのか全然わからないけれど
 読んでいるうちにだんだんと桃ちゃんが立ち上がっていく姿が
 この文章から見えたもの」
「そうですかぁ」

自身の公演より端で観ている方がよっぽど緊張するらしい修二さんですが
長年一緒に演じてきたパートナーの独立公演の稽古に毎回出て
桃子さんの新たな力を見直しているのも明らかでした
私の意見など何のこともないはずなのに
「そうですかぁ よかったぁ どうなっちゃうのかなぁ って・・・」と
まんざらでもなくうれしい様子でした

翌週勉強に見えた修二さんが
「桃ちゃんが ぜひ観に来て欲しい って言ってました
 あの言葉を褒められたのがうれしかったらしくて
 ぜひ観に来て欲しいって」と誘ってくれました

昨夜オットと劇団四季のCatsをずっと公演している大きくモダンな芝居小屋
の近くにある小きなレトロの工場跡「アトリエヘリコプター」へ
「立つ女」を観にでかけました

1時間15分ほどの上演時間
桃子さんが芝居を通して何をしたいのか
何を伝えたいのか結局私にはわかりませんでした
それに桃子さん自身にもまだ分かっていないことかも知れません
あるいは一生分からないことかも知れません
けれど10年間出演者として作品に登場してきた立場の桃子さんが
自身の企画で
自身の言葉で
「今自分がおもしろいと思うこと 試したかったこと」(プログラムから)を
私たちに見える形にしてきた過程の桃子さんのエネルギーを感じて
新生桃子さん誕生の場にいられたことが何よりうれしいことでした

オットも同感だったようです
先日オットが参加させて頂いた舞台の役者である吉本由美さんと
三人でオットお薦めの焼羊屋さんで
それはそれはおいしい食事を愉しみ帰宅しました

つい二ヶ月前には初孫が生まれ
その誕生の場にいられたことはとてもうれしく思えたものです
修二さん同様 桃子さんにも
今の自分を面白いと思える力を蓄え
丈夫で元気に育ってほしいと願っています

「立つ女」は26日月曜日まで毎日上演されています
詳しいことは桃子さんのホームページ
http://www.geocities.jp/tokagemomo/をお訪ね下さい
by skyalley | 2006-06-23 12:41 | ひと
勉強に目覚めること

4月末の出産後 50数日を共に過ごした次女のももが
ある日 「母さん 英語勉強したいんだけど
どうしたらいいと思う?」と訊いてきました
教室に接した部屋に暮らし
毎日お弟子さん達の熱心な勉強ぶりや議論などに接していた彼女は
どうやら感化されたらしく真剣にそう訊いてきました

とはいえ彼女が英語を勉強したいと言ってきたのは初めてのことではありません
今までにも何度かその問いはあり
結婚前には自宅で1対1で勉強をしたこともありますし
家を離れてからはメールを英語で というようなこともしたことはあります
けれどどれも長続きはしませんでした
いつも私が「じゃ こうしたらどう?」と提案し
娘はそれにとりあえずは従う という受け身の始め方をしていたから
というのが一つの理由と考えられます

つれあいの転勤で今は横浜の富岡に暮らしていますが
これからもどこへ移動していくかわからないので
どこへ行っても何とか自分で勉強を進めていかれるような方法を
というのが勉強方法模索の大事な条件の一つでした
今回私は彼女の様子を見守ることにしました

ある日 テレビでスタジオジブリの作品「もののけ姫」を観ました
二人とも初めて観たわけではなかったのですが
場面場面についてあれこれと話をしながら観ていたら
映画が終わったときには二人とも
自然と「教材はこれだね!」という思いで一致していました

娘はすぐにインターネットで「もののけ姫」の3枚組DVDを買い込みました
それから英語の字幕でまた作品を観始めました
まだ観ていなかったオットも加わって
娘は授乳をしながら 洗濯物を干しながら畳みながら 折を見ては
繰り返し観て聴いていました

それから です
さてそれからどうするか
それからどうするかで 勉強の姿勢が身に付いていくかどうか
というところなのですが
私は尚も黙っていました

台詞をすべて憶えるほどに作品を観た娘に
英語でわかりたいという欲求がむくむくと湧いてきたようでした
「母さん これからどうしたらいいと思う?」と訊いてきたので
体を使って憶えること
例えば日本語も英語も書き出すことを提案しました

最初は作品の全ての台詞が載っている本がないものかと
ネットでまた探してみたようですがさすがにそんなものはなかったようです
「じゃ 自分で作ったらいいよね」と思い至り
A4版の大きなノートを2冊買い込んできました
一冊は右側に英文を 左側に自分の訳を書き
もう一冊は日本語の台詞を書き出すことに決めていました
欲しいと思っていた物を買って済ませるのではなく
自分の手で創ろうという試みを思いついたのでした

オットにノートパソコンを借りて
まず英文を写し取る作業が始まりました
朝6時頃 私が猫にえさをやるために起きると
まだ夜中にも数時間毎に授乳をしていた娘は
その合間に作業をしていたらしく
テーブルにノートが出ていたことが何度もありました

昼間も赤ん坊の世話や用事が一段落すると
「さ 勉強しよっ」と言う声はいつも弾んでいました

自宅が英語の教室であったのに それだからこそ
したかったのに近くて遠かった英語の勉強が
今 自分の好きなことを教材に選び
自分で決めたやり方で
日々少しずつなり進めていくことの愉しさを
娘は初めて知ったようでした

ばりばりと作業を進めとうとう全編の英語を書き出してしまいました
そのノートをしばらくは嬉しそうに何度も広げていましたが
こんどは辞書を片手に翻訳を始めました
好奇心が先行しているので辞書を引くのもさほど億劫に感じられなかったようです
時々開かれたままになっていたノートには
辞書を引いた時にその単語の意味だけではなく
興味のある使い方や 例文までもが細かく書き写されていました

すでに娘の頭の中に原文の台詞は頭に入っていますが
あの日本語がどうしてこういう英訳になるのかわからない
という箇所がだんだんでてきました
自分で一度訳してみたことで抱くことができた疑問なので
それに対して私が説明をするととても納得して
「あぁあぁ そういうことね な〜るほどね」と言いながら
さらに自分で考えた言葉で訳語を探して書く努力を重ねていました

横浜の自宅に長男と帰って行き
親子三人での新しい生活を始めて2日後
娘から届いたいくつかのメールのうちの一つは
「机を買おうと思っているんだけど
炬燵じゃ 勉強する気にならんよ」というものでした

お弟子さんの一人で韓国の釜山で生まれた孔(ゴン)ミギョンさんが
韓国語には「勉強」に当たる言葉はない と教えてくれました
では 何というのかというと「工夫」だそうです
なるほど!
とても納得しました
勉強は受け身ではない営みだと言うことをはっきり表しているからです

一児の母となり 23歳になった娘が
「もののけ姫」のおかげで勉強=工夫に目覚めたようです
初孫が勉強机に向かう母の真剣な姿を自然なことと思って育ちますように
by skyalley | 2006-06-21 09:52
自由な家で自分をさがすこと

いつのころからそうなったのか 
私の家は常に誰にも開かれている雰囲気を持つようになりました

特に最初一人だった英語の生徒さんから
だんだんに数が増えて教室らしい形になってからだと思いますが
毎日みえるお弟子さんたち
オットの仕事の打ち合わせのひと
私の友人
オットの友人
共通の友人
突然立ち寄ってくださる人なども含めると
訪れる人が誰もいない という日は稀です

今年26歳と23歳になる二人の娘達はそんな家で育ちました

オットと私そして長女が
この家の雰囲気を創っていく過程の当事者だったとすると
最年少のももは私たち三人が試行錯誤して得た自由な暮らしの中に
ポン と置かれたような存在として生まれてきた感があります

ももはこの自由な家でずっと「自分」を「自分の居場所」を探している存在でした

小さかった頃は私の教室で同級生と英語を勉強したこともありましたが
自分の家で自分の親に習っている という気安さからか
勉強日をうっかり忘れて友達と約束をしてきたり
代わりの日を決めてもそれも忘れてしまったり という風で
家も教室も彼女にとって愉しいところではなかったようです

友人達から「両親とも自由業の自由な家」と羨ましがられても
ももにとっては何のいいことも見出せないまま
結局早くから家を離れて外の世界に自分の居場所を探しにでかけました

20歳になって大阪から久しぶりに帰ってきたももがいいました
「かあさんもこう(父)さんも
自分の仕事について文句を言っているのを聞いたことがなかった
って家を離れて初めて気づいたよ」

私たち夫婦はそれぞれに好きなことをしてきました
会社員でもなく何の団体に属しているわけでもないので
いわゆる社会的な保障は何もありません
しかし それは気軽である ということでもあります
自分たちの良かれと思うことを愉しみながら試行錯誤してやってきましたから
自分で決めた仕事に対し文句を言うどころか
自由にやってきてそれで何とか暮らして来られたことをありがたいと思っています
そのことが結果的に
私たちの周囲のひとびととも分かち合える愉しみになることがしばしばです

4月末に出産のためこの家に帰ってきたももは
50数日間 教室の隣の部屋に暮らしていました
受業が終わると勉強に見える方達の熱心な様子に感心したり
ささやかな進歩をわがことのように喜んだり
議論された内容に対して自分の考えを述べたりして
間接的ながら受業に愉しんで参加しているももがいました

「かあさん もも英語の勉強したいんだけど 
 どうするかねぇ・・・」

出産後母子共に健やかでいられたことを初め
次女が家にしみじみといてくれた50数日間に
うれしいこと ありがたいことは数々ありましたが
彼女が本当はずっとしたいと思っていてできなかった英語の勉強に
一歩踏み出せたこともその一つです

彼女がどんな勉強を始め 愉しんでいるかはまた次回に
by skyalley | 2006-06-18 23:47 | ひと
こつこつ しみじみの力
幼かった頃
母方の父の箸使いに魅せられました
彼が使いこなす箸さばきに私はいつも見惚れていたものでした
あんなに大きくて太くて肉厚の手が
米粒一つやウニの一粒 それこそ芥子の一粒さえ
器用にさっと摘んでしまう不思議を見ているのが大好きでした
私は祖父の対面にいつも席を取って
両親と語っている祖父が無意識に使いこなす箸の動きばかりを
いつもじぃっと見つめていました
あんなふうに持ちたい
あんなふうに使いたい
祖父の手元から目が離せずにいた自分の姿を思い出すことができます

初めて鉛筆を持つようになったとき
母は二本の鉛筆を差し出して「これをお箸だと思って持ってごらん」と言いました
言われたとおりにすると
母は私が握る二本の鉛筆のうち下の一本をすぅっと抜いて
手元に残った一本について「こうすると鉛筆の持ち方になるの」
あのときの「腑に落ちた」気分もよく覚えています

しかし私が道具の持ち方や機能性を意識し感心したのは
箸や鉛筆を使うようになってからずっと後のこと

40代に「日本ペンマンシップ協会」で
英語の筆記体の書道(英習字)を教えて頂き始めた時でした
筆記体の書道コンクールで
世界的にもすばらしい成績を収められた先生方に教えを請いました
最初の授業で手ほどきを受けたのが付けペンの持ち方でした
それは私の鉛筆の持ち方と同じでしたが
その時に箸だろうと鉛筆だろうと外国人が使うペンだろうと
道具の使い方の要は「最小の力で最大の力を出す」ことには変わりはないのだと
気づきました

今まで私の書の教室では
お弟子さんの鉛筆やペンの持ち方については
「直してみては?」と敢えて促しはしてきませんでした
けれどもほとんどの方達が
筆記用具の持ち方 ひいては箸の持ち方の余りにさまざまなのを見てきて
やはり正しく機能的な持ち方を知っておくことも大事と思い
最近の教室では
十年以上お稽古に来られているお弟子さんも
まずペンの持ち方に気を付けて安定した線を書くことを準備運動にしました
それには
「日本ペンマンシップ協会」で教えて頂いた英習字式の練習を取り入れています

先日お弟子さんの一人宗重美都さんが来室するなり「先生 見て下さい」と
ご自分の書の練習帳を出されました

彼女は高校生の時から英語の勉強に通い始めて今年で7年になります
大学生の夏 アメリカで短期英語学校で学んだときに
アメリカ人に平仮名の書き方や歴史を訊かれ
自国の国語について余りにも知らないことが多すぎる と気づき
帰国直後「書を習います!」と宣言して以来
美都さんは英語と書を平行して勉強してきました

その彼女が
毎日仕事の合間にも少しずつ持ち方を変えたペンで線書きの練習を重ねていたら
ペンが機能的に動くことが実感できた と言うのです
そうなると書かれた線は

1. 高さ
2. 濃さ
3. 傾き
4. 間隔
5. 速さ

が自然と揃って線質は均等になります
基本となる一本の線の安定が
書の稽古にとって役に立つことと願って取り入れた練習法です

美都さんはアメリカでの英語クラスで
ある日「Rome was not built in a day.(ローマは一日にしてならず)」
という諺の意味を知らず
先生や他の生徒からのきつい視線を感じ
泣く泣く宿泊先へ帰ったそうです
「あの諺の意味がこのペンの線書き練習で今初めて体験できました」
ととてもうれしそうでした

クレヨンや鉛筆を持ち始めてからまだ数年の幼児でも
その持ち方を変えるとなるとすでに身につけてしまった持ち方があるので
誰でもとても苦労をするものです
でも美都さんはただペンの持ち方を変えることの煩わしさに囚われず
自分で日々書かれた線と向かい合っているうちに
「最小の力で最大の力を出す」ことの面白さに気づいた
と同時に
「こつこつ しみじみの力」にも気づかれたのでしょう

身につけるにはなかなか難しく
けれどとても頼もしい「こつこつ しみじみの力」を
書や英語・フランス語の学習を通して
一人でも多くの方達が体験することができるのであれば
私にとって何よりうれしいことの一つです

美都さんのノートの上だけではなく
大学生を筆頭に3人の男の子のお母さんで
先月から稽古を始めたばかりの中野涼子さんのノートにも
ブルーブラックのインクの線によるローマが築かれ始めています
by skyalley | 2006-06-17 10:58 | こころへ教室日記
「とても美しい」とは言わなかった

手元の古語辞典をときどき開いては
ふだんよく遣っている言葉を引いてみます
昨日は「とても」という言葉

   とても 副詞 
       1.どのようにしても。どうせ。結局。
           閑吟集「とても売らるる身をただ静かに漕げよ」
       2.(下に打消の語を伴って)とうてい。しょせん。
           平家物語「とても逃げられざらんものゆゑに」
          

2.に書かれている(下に打消の語を伴って)に首を傾げました

枕元に置いてある一冊『日本語の年輪』(大野晋 新潮文庫)を
睡眠剤代わりにその夜開いたら
たまたま「とても」という言葉についてこんなことが書かれてありました

  このごろ若い人たちは「非常に」というところを、何でも「すごく」という。
  私たちは子供のときに「とてもおもしろい」とか「とてもいやだ」とか言った
  この「とても」という言葉も、古くは「とてもかくても」と使ったので、
  「どうしてもこうしても」の意味であって、「とても」といえば、「とても
  だめだ」「とてもできない」と、必ず打ち消しの形で使うのが普通だった。
  それが明治時代の終りごろから、「とても美しい」とか「とてもおもしろい」と
  普通の肯定の形にも広まって使われるようになり、言葉に細かい感覚を持つ人は
  それをとがめたものだった。

因みにこの本は昭和41年(1966年)に初版が出ているので
今は少し下火になった感のある「ちょう(超)」という言葉は
まだ使われていなかったのでしょう
言及はされていません

大野さんは

   だいたい「非常に」という意味を表わす言葉は、
   日本語の歴史の中でも寿命の短い単語の一つで、
   昔から、さまざまの単語が次々に現れては消えて行った。

とも記しています

それにしても
「とてもうれしい」や「とてもおいしい」など
私が何の疑問も持たずに肯定文に添えて遣ってきた「とても」は
歴史的に観ると明治以後の新しい遣い方なのだということを初めて知りました

人間という生ものが遣う言葉も相当に生もので
絶対的に正しい人間の在り方というのが無いのと同様に
正しい言葉の遣い方というのも実は相対的でしか有り得ない

古語辞典を折々引いて
千年以上の間に
肯定が否定に 良い意味が悪い意味になど
言葉の遣われ方や意味が真反対にとも言える変遷を見せているのを知れば知るほど
私自身の言葉遣いに対する頑なさは和らぎます
そして人間にも言葉にもていねいに向き合いなさいと促されます
by skyalley | 2006-06-14 01:14
清水真砂子さんの「こころの風景」


昨日のブログで触れた猪狩みきさんが
清水真砂子さんが書かれた新聞の記事をコピーして持ってきて下さった
大切な知人友人にすぐに紹介したい内容だった
私は猪狩さんが帰られた後 授乳中の娘にゆっくり読んで聞かせた
尊敬している90歳近いご夫妻にもコピーをして送らせてもらった


  
「ケンブリッジの郊外で」

                    清水 真砂子

 ロンドンのタクシー運転手の確実な仕事ぶりは有名だが、地方にいくと、この話、必ずしも通用しない。
 ある日、私たち夫婦はケンブリッジの駅前でタクシーに乗り、近郊の村に向かった。ところが、どうもあぶなっかしい。かすかな記憶をたよりに、この辺まで来ればあとは大丈夫と思われるところで車を降りた。だが、いざ歩き出してみると、いまひとつ確信を持てない。家はまばらで、道をきこうにも人の姿はない。
見当をつけて歩くうち、ようやく前方から買物袋を両手にさげたおじいさんがやってきた。と、おじいさんは足を止め、両手の荷物を地べたにおろすと、はい、承りましょ、とまっすぐ私たちの方に向き直った。私たちが行く先の住所を伝えると、彼は私たちの年齢、背丈をたしかめるように見て、「そうですなあ、おふたりの脚なら十分とかかりますまい」と言った。私たちは礼を言って別れた。いい顔をしたおじいさんだった。道をたずねて、こんなに丁寧に向かい合ってもらったのは初めてだった。おじいさんはついでではなかった。
帰国してしばらくして、何かの本で、いぎりすの子どもたちは昔、手の荷物は必ず下に置いて人の話を聞くよう、しつけられていたことを知った。その教えを守って、おそらくは七十年余を生きてきた人の律儀さを想い、その人生を想った。
      

    朝日新聞2006年6月7日(水)夕刊 「こころの風景」




ケンブリッジの郊外で道を教えてくれたおじいさんの応対ぶりを心に留め
書かれた清水さん
その記事に気を留め
コピーを取って持ってきて下さった猪狩さん


子規の
    
       六月を綺麗な風の吹くことよ 


という句を思い出した
by skyalley | 2006-06-12 16:58 | ひと
清水真砂子さんの講演会へ
ちんとして本の世界で旅することがとても好きなこともあって
私はとても出不精です
まして都心にでかけるなど季節に一度あるかないかですが
先日ある知らせをメールで頂いてすぐに参加予約をさせてもらいました

6月24日土曜日午後7時開演
新宿紀伊國屋サザンシアターで開かれる清水真砂子さんの講演会
「『ゲド戦記』の世界」です
http://www.iwanami.co.jp/topics/event.html#ged

知らせて下さったのは教室でいつも愉しい時間を共有して下さっている猪狩みきさんです
今年初めに
「今度のスタジオジブリの新作は『ゲド戦記』というのをご存じでしたか」
とたいそう控えめに
私にとって大きな知らせを最初に届けて下さったのもみきさんでした

彼女といっしょに勉強をさせて頂くようになってから間もない頃
私たちは本の話をしていて共に『ゲド戦記』の熱烈な読者だということを知り
とてもうれしかったものです
特に翻訳者である清水真砂子さんの日本語の力に感動していたことで
私たちはずいぶん昂奮を抑えて折々語り合ってきました

清水さんはどんな方だろう とずっと想っていましたので
先日教室に見えたみきさんから
「清水さんの講演会には今までも二度出向いたことがあり
想っていた通りの方だった」と伺ったときには羨ましくさえ思ったものです

  

Only in silence the word,  
only in dark the light,
only in dying life;
bright the hawkユs flight
on the empty sky.

  ことばは沈黙に
  光や闇に
  生は死の中にこそあるものなれ
  飛翔せるタカの
  虚空にこそ輝ける如くに



十五年近く前のある夜中
アーシュラ・ル・グイン著『ゲド戦記』を開いたとき
この冒頭句が
当時心身共に最も苦しい状況にいた私を救うきっかけになったのは確かなことです


  
  ある日、小さな町の小さな集まりで、三十歳ぐらいの女の人に呼びとめられた
  「あなたのおかげで、今こうして生きていられます。
   自殺寸前までいっていた私をあなたの本がひきもどしてくれました」
  その人は言った。
  びっくりした。
  どぎまぎして、どう返事したらいいかわからなかった。
  私の本に、どれほどのことができたものか。
  「あなた自身に生きようとする力があったから」と私は必死になって否定した
  けれど相手はおだやかに微笑んで、
  「いいえ、あの本のおかげです。本当にそうなんです」と
  くり返すばかりだった
  つくづくこわくなった。
  生きているということは
  他者と互いに影響しあうことぬきには考えられないことぐらい
  とうにわかっていたつもりだったけれど、
  いざ自分の本のことで、しかも生死について言われてみると、
  私はただ立ちすくむばかりだった。
       
       (『もうひとつの幸福』 清水真砂子著 1994年岩波書店)




「三十歳ぐらいの女の人」はもちろん私ではありませんし
このようなことを清水さんご自身に伝えて
彼女をびっくりさせたり、こわがらせたり、立ちつくさせようなどとは
思いもよりませんが
そのような方はやはり在るのだ と
心で大きく頷いています

清水さんの話を直にうかがえる機会を教えて下さっただけでも
どれほどみきさんに感謝しているでしょう
当日は長女も誘っています

その日を二週間後に控えた日曜日
夜が明けてきました
静かに雨が降り始めています
by skyalley | 2006-06-11 05:39 | こころへ教室日記
月に一度の心身清涼剤

今週の日曜日 オットと4人の友人達と奥多摩へ行きました
青梅線で東京の奥の奥へずんずんと入っていくと
空気が澄んでいくのが分かります
東京に生まれたことを誇らしく思える気持ちが
緑豊かな東京の懐に入るにつれて深まります

元旅館を経営していた加藤のおじさんをまた訪ねました
奥多摩駅からバスでまた30分山奥へ入った峰谷橋のたもとに暮らしています
そこはもうすぐ山梨県境

朝が早い山育ちのおじさんは
都心から昼過ぎにようやく到着した私たちを待ちかねていました
何しろ皆平日は仕事をしていて
山へ行くと言っても早起きするわけでもなく
ゆるゆると待ち合わせして行くのですから
またもやおじさんは呆れ顔です

一時間に一本のバス運行なので帰りの時間を考えると
2時間ばかり遊べるかどうかというところ
饅頭と甘納豆でお茶をし
名残惜しそうにしてくださるおじさんを残して川に遊びに行きました

私は読書の次に石拾いが好きです
飽きることなく石を見たり拾ったりして愉しめますが
それは何と言っても川の水音があるからといえます
家に帰ってひとりで 
特に石拾いをしているときのようにしゃがんでいると
いつも水音が聞こえてきます
直に触ることがなくても
その音だけで水は充分に持てる力の一部を発揮できるようです

一つとして同じ姿・同じ物語のない石を無心にみつめている間に
水音が心身を鎮め清めてくれているのでしょう
石拾いからようよう腰を上げて河原に立ったときの私は
いつも爽快です

オットは河原に降りるなり枯木を集め焚き火を始めました
同行してくださった友人達はいっしょに勉強をする仲間でもあります
教室で本の文鎮代わりとなる石探しに協力してもらいましたが
それぞれがそれぞれに短い河原での休日を愉しみました

先月いっしょに奥多摩に行った友人達からも
今月初めて参加した友人達からも
今は休業中のおじさんの旅館で夏には合宿をしようという案が出ました
おじさんも「食器でも布団でもいっぱいあるんだから
自分たちで好きなようにしたらいい」と言ってくれたので
この案はきっと実行に移されることでしょう
オットを初め料理の腕自慢はたくさんいそうなので楽しみです
奥多摩の保護観察員として熊や猪狩りで活躍したおじさんもすでに八十代
鮎の穴場に案内してもらいましょう

月に一度の奥多摩行きは私にとって心身清涼剤です
by skyalley | 2006-06-09 12:31