触ることからはじめよう
by skyalley
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「狩猟民族は足元が明るいうちに帰るのだ」
あるとき、ちょっとしたことから、このピパウシ・コタン(二風谷の古名の一つ)と他のコタンとの間にもめごとが起こり、ウコチャランケが始まった。ウコは「互いに」、チャランケは「言葉を降ろす」の意で、つまり、とことんまで議論をして、もめごとを解決するというアイヌの習わしです。アイヌはもめごとを暴力で解決をしないということでもあります。
チャランケには、道理にかなった物の言い方ができる才能と、何日間でも座って議論できる体力とが必要です。ピパウシ・コタンのチャランケの代表に、三本横筋に背びれのアイシロシ(仕掛け弓用の毒矢の矢尻に刻み込む印)をもった男が選ばれたのです。男は雄弁の才能と体力の両方を兼ねそなえていたからでしょう。
そしてこの男は、六日六晩、倒れることもなくウコチャランケをやり通し、もめごとを円満解決に導いたのです。村人の喜びようはたいへんなものでした。この男の正式のアイヌ名はわかりませんが、このウコチャランケが終わってから、コタンの人は男を、アワアンクル(座っている人)と呼び、その雄弁と体力を称えたということです。
このアワアンクルが、わたしから数えて五代前の先祖にあたる人なのです。
(萱野茂著『アイヌの碑』(朝日文庫1999 p.33)



大正15年(1926)北海道沙流郡二風谷コタン(村)に生まれた萱野茂さんが書かれた
『アイヌの碑』を読み終えました
2週間ほどまえの日曜日に教育テレビ「こころの時代」で
萱野さんの姿が放映されました
近所の古書店にあったのにずっと手を出さなかった『アイヌの碑』を思い出し
番組が終わってからさっそく買いに出かけ
寝る前に少しずつ読んできました

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本多勝一氏の言葉が本の裏表紙にあります
これは「本」ではない
何万年の歴史を生きていたひとつの民族、ひとつの文化が、
いま正に風前の灯にある、
その灯を消すまいと、必死に祈り、戦い、怒り、
しかし静かに語る魂-----
憤死した先祖たちが萱野氏というアイヌを通して
全日本人に呼びかける「声」そのものだ。

萱野さんがご先祖から受け継がれたウコチャランケの魂は
短いテレビ番組に登場された折にも随所で感じられました
遅まきながら『アイヌの碑』を読むことができたお陰で
私は和人・シャモとは違うアイヌ民族の存在に強く感銘を受けました

明治32年(1899)
貧困にあえぐ旧土人(アイヌ)に対する保護政策として施行された「北海道旧土人保護法」により
萱野さんたちアイヌの先祖は
強制的に土地を追われた上に農耕民化させられました
しかし萱野さんのお父さんは狩猟民族として暮らしていました
『アイヌの碑』に現れる多くの登場人物の中で
私は萱野さんのお父さんである貝沢清太郎さんにまつわる話が特に好きです

しかし、日ごろの父は酒飲みが災いして、しかも農耕が好きでないというので、貧乏暮らしです。したがって、アイヌ風習の大切な行事がある場合でも、たいてい二番手か三番手の役しか回ってきません。そのことを自分でわかっていながら、毎日酒に溺れる人でした。


と描かれていますが
自然の懐に在るときの貝沢清太郎さんはすばらしい

兎の皮をはぐとき、忘れてはならないことが一つあります。兎は脂の少ない動物で、皮下脂肪がまったくといっていいほどありません。ただ一か所、前脚の付け根のところに、人間の小指の先ほどの脂肪の塊がぽつんとあるのです。父はその小さな塊をおおげさに両手いっぱいに受け、二度、三度と礼拝し、
「兎の神様、脂肉をたくさん背負ってきて、ありがとうございます」とお礼を言うのです。
すると兎の神は、それを本気にして喜び、何度も何度もアイヌのところへ兎をよこすというわけです。(p.33)


鮭(あきあじ)が網にかからずまるがに(丸蟹)がかかったことがありました。すると父はそのまるがにを紐で軽くしばり、柳の木につなぎ次のようなことを話すのです。
「お前は川の神の召使いだ。川の神と話ができるはずだ。川の神に鮭をアイヌへ贈るように話しなさい。鮭は、わたしども目に見えるアイヌだけが食べるものではない。火の神やその他の神々も一緒に食べるものです。鮭が獲れなければ、アイヌも神々もお腹をすかして困るのです。鮭が獲れるように神に話してくれなければ、紐をほどいてやらないぞ」
そういうお呪(まじな)いをすると、不思議に鮭が網にかかるのでした。そして鮭が獲れると、父はまるがにの紐を解いて川へ放してやりました。
普通、まるがにが網にかかると、アイヌは今夜は駄目だ、と言って帰ったものです。ところが、その縁起の悪いまるがにを相手にしゃべっていた父は、あるいは本当に神と話をする力を持っていたのかもしれません。(p.85)


平成2年(1994)アイヌ民族初の国会議員として繰り上げ当選
「アイヌ新法」制定に尽力して約100年法的に生きていた「北海道旧土人保護法」を廃止
「狩猟民族は足元が明るいうちに帰るのだ」という言葉を残して議員を辞職
アイヌ文化の継承と保存に努められました
お母さんにも アイヌ ネノアン アイヌ(人間らしくある人間)になれぞかし 
と育てられた萱野茂さんが
今年5月6日に亡くなったことを知らずにおりました
彼が書き遺したこの一冊の本からでさえ私が学ぶことはまだまだたくさんあります
by skyalley | 2006-07-24 11:49 | ひと
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