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この一両日 高原の冷気を思わせる中で 体は一息を入れさせてもらっている 思えば2週間前の日曜日には 炎天下 屋根はあったといえども 駅前の雑踏の中で 署名活動をしていた 12名の戦後生まれの私たちを現場で支えて下さったのが 93歳の鹿野京子先生 「今こそ 戦前・戦後生まれの垣根を越えて 子どもが子どもとして生きる環境を ゆるぎなく護るためには 反原発以外の途はございません」と 署名を呼びかける私たちの後ろから マイクを手に 車椅子から思いを訴えた 鹿野先生は 「アウシュヴィッツ平和記念館」 「幼い難民を考える会」 「海外医療協力会」「九条の会」などのそれぞれの会員 現役の社会活動家でおられる 何が彼女をこの年まで駆っているのか 京都生まれの鹿野先生は 関東大震災で被災した東京の親戚を訪ねていった祖父から 「朝鮮人がデマによって無実の罪で6000人も殺された」と 話しているのを聴いて なんてむごい! おなじにんげんだのに と思ったそうだ 鹿野先生は満四歳だったと聞く その時点ですでにそう感じ取れる感受性をお持ちであった ということは それまでに ご家庭で そう感じられるような素地が育まれていた という証であろうか 4歳のときの この想いが先生の一生を貫いている 荷車に轢き切られた友の足を 瞬時に自分の口に含み 「痛かべ 痛かべ」と言った8,9歳の頃の宮澤賢治 私が30年前の旅先で見かけた5歳の男の子は 2歳にもならぬ妹の悲しみを自分の身に引き受け 「ごめんな にいちゃんにちからがなくて おおきくなったら きっとたすけてやる」と 妹の目線に体を傾げ 幾度も幾度も謝っていた ひとの痛みを自分の痛みとして感じようとする気持 幼い頃から そのことを育むことなくして成長し 大衆の一員然として暮らすことの恐ろしさ また政治家や技術者や科学者になってしまうことのおぞましさ 同じ人間として 自分の中にも存在するその残虐さを思う気持 訴える相手の余りの無関心さに対する虚無感 それでも できることからするしかないと奮起する気持とが 一週間後の第二回目の署名活動を控え せめぎあって わさわさとしたまま 落ち着くことが出来ない 冬の木立のように 堂々とできぬものか ![]()
by skyalley
| 2011-08-21 16:51
| 一枚の葉を森へ(no nukes)
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