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第2回の徳談会の講師を務めて下さった松浦靖明氏 御歳90 折々電話や葉書で 思い出したことを知らせて下さる 先日 祖師谷留学生会館で日本語の受業を終え 櫻紅葉の道を自転車で移動中に電話があった 松浦氏だ 「メモの用意をして下さい」と仰ったので 事情を話すと 「それでは葉書で今から書き送ります」と そして おつれあいと話していて あるいは娘さんと話していて 「いったい誰が や?!」と話の主語を問いただすことがままある 何故女の人の話に主語がないことが多いのか その理由の一つに思い至った というもの 翌日葉書を拝承 以下その内容 ::::::::::::::::::::: 日本軍隊史に詳しくないので昭和廿年迄のこと 陸軍斥候(せっこう: 古語は物見 ものみ)報告内容 「何時(いつ) 何処(どこ)で 敵が何ほど(数)現れて 敵はどうする 我はこうする」 今日気付いた 昔の日本男子の三大義務 納税・選挙・兵役 大部分の男子は早ければ中学一年から これを学ばされました 敗戦以後 会社員もこの要領で仕事した筈 :::::::::::::::::::::::: 斥候が判断を誤れば 味方百人 千人 一万人の命の安否に関わる一大事 つまり 戦前から兵役の義務を課されていた男性は 「何時(いつ) 何処(どこ)で 敵が何ほど(数)現れて 敵はどうする 我はこうする」現状を適確に摑む訓練を 10代において徹底的に身につけさせられた この訓練がよくなされていたので 戦後も 「敵は」 「我は」という主語を抜いて話すことは しにくいのではないか それに対し 兵役を課されていなかった女性の会話では 主語が抜けやすい と そんな感想を抱いたことを書き寄越して下さった 事の正否は別として 戦前・戦中を生きてこられた方でなければ 持つことができない感懐だと思った 松浦氏は 60歳で定年後 私淑する先輩に 「退職してから 元の会社に出入りするような無様はするな」と戒められ 以後 会社員生活とはまったく異なる人生を送ってこられた その一つが 退職後すぐに始めた俳句 同人の方達と初めて作った30年分の句集を 先日送って下さった 句会で 「木の実とる」と書いたら 歳は松浦氏より若いけれど 句作歴の長い女性から 「木の実とる」で は 枝から「とる」感じ この句の意味から考えると 「拾う」が妥当ではないか とのご指摘を受け 「ありがたいことですわ」と 電話口で話された 折々の松浦氏からの言葉は いつも沁み入る
by skyalley
| 2010-11-15 11:14
| 徳談会日記
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