触ることからはじめよう
by skyalley
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「いったい 誰が や?!」

第2回の徳談会の講師を務めて下さった松浦靖明氏
御歳90
折々電話や葉書で 思い出したことを知らせて下さる


「いったい 誰が や?!」_f0085284_11121878.jpg



先日 祖師谷留学生会館で日本語の受業を終え
櫻紅葉の道を自転車で移動中に電話があった
松浦氏だ
「メモの用意をして下さい」と仰ったので
事情を話すと 「それでは葉書で今から書き送ります」と
そして
おつれあいと話していて あるいは娘さんと話していて
「いったい誰が や?!」と話の主語を問いただすことがままある
何故女の人の話に主語がないことが多いのか 
その理由の一つに思い至った というもの


翌日葉書を拝承 以下その内容
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日本軍隊史に詳しくないので昭和廿年迄のこと
陸軍斥候(せっこう: 古語は物見 ものみ)報告内容

 「何時(いつ) 何処(どこ)で 敵が何ほど(数)現れて
  敵はどうする 我はこうする」

今日気付いた
昔の日本男子の三大義務 納税・選挙・兵役
大部分の男子は早ければ中学一年から
これを学ばされました
敗戦以後 会社員もこの要領で仕事した筈

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斥候が判断を誤れば
味方百人 千人 一万人の命の安否に関わる一大事
つまり
戦前から兵役の義務を課されていた男性は
 「何時(いつ) 何処(どこ)で 
  敵が何ほど(数)現れて
  敵はどうする 我はこうする」現状を適確に摑む訓練を
10代において徹底的に身につけさせられた


この訓練がよくなされていたので
戦後も  「敵は」 「我は」という主語を抜いて話すことは
しにくいのではないか
それに対し 兵役を課されていなかった女性の会話では
主語が抜けやすい
と そんな感想を抱いたことを書き寄越して下さった


事の正否は別として
戦前・戦中を生きてこられた方でなければ
持つことができない感懐だと思った


松浦氏は 60歳で定年後 私淑する先輩に
「退職してから 元の会社に出入りするような無様はするな」と戒められ
以後 会社員生活とはまったく異なる人生を送ってこられた
その一つが 退職後すぐに始めた俳句
同人の方達と初めて作った30年分の句集を 先日送って下さった


句会で 「木の実とる」と書いたら
歳は松浦氏より若いけれど 句作歴の長い女性から
「木の実とる」で は 枝から「とる」感じ
この句の意味から考えると 「拾う」が妥当ではないか とのご指摘を受け
「ありがたいことですわ」と 電話口で話された


折々の松浦氏からの言葉は いつも沁み入る
by skyalley | 2010-11-15 11:14 | 徳談会日記
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