触ることからはじめよう
by skyalley
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私物は肩幅に
孫息子・颯太を保育園へ迎えに行ってから
母親のももが帰るまでの2時間
私は夕飯を作り 颯太は一人遊びをしている
一人と言っても何かしてはすぐに「みてぇ! 」と呼びかけてくる
料理をしながら 私は台所と食堂を行ったり来たりしている


夕飯が出来たので 颯太にナイフ・フォークを出すように頼んだ
「わかった」「おっ えらいね」
料理を食卓に運んでくると 颯太は自分の分しか揃えていない
「どうして自分のだけ出したの 颯太」
「だって かっくんはじぶんでだすかな とおもって」
「颯太とかっくんが一緒にいるとき 
 かっくんが自分の分だけご飯作ったことある?」
「ない・・・」
「いっしょに食べるんだから いっしょに用意しようよ」
「わかった」


受業の時間が迫っていたので 私は先に食べ終え
着替えるために食堂からクローゼットに行く途中で
玄関にお弟子さんの分のスリッパを二足並べて出した
それを見ていた颯太 「ももちゃんのスリッパもだしてあげようよ」
ヤラレタ!


子どもの頃 机や食卓に座ると 母にいつも
「自分の持ち物は自分の肩幅に収める!」と注意された
隣に誰かがいるときはもちろんのこと
いてもいなくても 私物は肩幅に収める気持ちで
机を独り占めするほど広げて物を置かない ということだ


幼い私には 常に理をまったく言わず
そういうことだからそういうことなのだ という物言いの母に
小さな眉間の皺を更に深めることはあっても
その時 その場で 「なるほど」と思ったことは
一度としてなかったと言っていい


しかし 母が他界した歳を越え
それだけ人様との関わりも重ねてきた今頃になって
母がしつこく私に言い含めようとしたことに対して
「な〜るほど〜!」と思うことは多々ある
そして年々増える


自分がいる = 他者がいる
自分がいたら 他者もいる ということを
常に心に含めての立ち居振る舞いを ということであったか
母は孫であるももが生まれて3ヶ月後にアノヨへ逝った
コノヨの曾孫をどこで どうみているだろう


私物は肩幅に_f0085284_039948.jpg

by skyalley | 2010-03-31 00:40 | 父・母
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