触ることからはじめよう
by skyalley
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いくらか頑固な人 と 柳の芽


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昨年の盛夏から通うようになった留学生会館
毎週火曜日の朝 日本語教室で海外からの留学生と日本語を学ぶ
すでに十数年の歴史をもっているその教室で
開設当時から教えている一人の男性は80代


にこやかに冗談など仰るが 私に対してどこか硬い部分が感じられる
その教室では 私が新参者だから距離を置いておられるからなのか
あるいは生理的なことに関わることなのか 何か・・・
私にははっきりした理由はわからないが 確かに感じる


1月のある日会館への道を自転車で走っていたら
前をゆっくり歩く彼に追いついた 追いついてしまった 
そのまま挨拶だけを交わして先へ走っていくこともできたが
私は自転車を降りた


案の定降りた途端に「どうぞ お先へ」と言われた
私は まだ時間があるので と申し上げた
差し障りのない天気の話などをしていると 柳が見えてきた
かなりの高木で 枝垂れた枝が凩に大きく揺れている


私はたいした期待もせず 「大きな柳ですね」と言った
するとこんな応えが返ってきた
「そうそう あの柳ね あれ いいんですよ 
 春になるとその新芽のきれいなこと こちらも生き返るようですよ


 そうか あなたはまだあの柳の芽吹きを見ていないんですね
 いつから教室に来られたんでしたっけ? あ 夏からね
 じゃ 見ておられないわけだ 
 そりゃきれいですよ きっと気に入りますよ」


「あんなところに柳なんてありましたっけ」 
という返事だってあり得た
しかし 彼のその言葉以来
「私に対する硬さ」をさして気にしなくてもよくなった


『国語の時間』の著者竹西寛子先生は
日常の言葉遣いを意識する人と しない人
というふうに人間を分ける方法があってもいいのではないか
と書かれていた


私が人間を見るときは 
木を畏怖している人かどうか ということが
大切な切り口と言えるかも知れない
彼は私を未だに受け入れていないかもしれないが
私は「木を愛でる気持ち」という部分で彼との接点を得た
柳を二人で見上げながら通り過ぎた日の後
まだ見ぬ柳の芽吹きと 彼との関わりを思い
私の気持ちは和らいだ

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by skyalley | 2010-03-15 13:55 |
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