触ることからはじめよう
by skyalley
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いる = つながっている


私は乾物屋の長女として育った
間口三間ほどの店の奥の居間で
食べたり 妹たちと喧嘩をしたり
今思えば丸見えだったはずだが そこで着替えたり
店に来られるお客様と両親とのやりとりを
ずっと 聞くともなく聞きながら 育った


味噌や醤油 海苔や豆腐
一人暮らしを始めてから
初めて靴を履いて お金を持って
それらの食材を買いに行く という事態になって
「お父さ〜ん お味噌〜」 と店の方に向かって言えば
すぐに手に入っていたことのありがたさを知った


しかし 子どもの頃は
「かんぶつや〜!」  同級生の男の子に
そう囃されるのがとても嫌だった
家が いつも外に対して開かれていることも嫌だった
サラリーマンの家庭 
当時増えてきたアパート暮らし
鍵を掛けること 鍵を持っていることが羨ましかった


群青色の縁の付いた白い琺瑯(ほうろう)に
とりどりの豆や 昆布などの煮物を並べ
半径2キロほどに住まうお客様を相手に
ささやかに商いをしていた父 母
ある日 その容器に盛られているうずら豆の山が
崩れていることを父に知らせた


「いいんだよ」 と父 「どうして」 と私
「この端っこの少し焦げてるのは 裏のイ〜さんのお爺さんの
 こっちの端っこの柔らかいのは お向かいのロ〜さんのお婆さんの
 こっちのちょっと堅いのは学校の裏のハ〜さんが買いに来るの」
両親の煮る豆は 時によって炊き具合が一定しない
そんな時に お客様の好みによって 取り分けておくのだと言う


好みの豆を 買いに来るはずのお客様が見えないと
 「ハ〜さん 来ないな 具合でも悪いかな
  お前 ちょっと行ってみておいで」 
豆を持って遣いに出された
「いいのに 行かなくても 欲しければ 買いに来るのに」
心の中でぶつぶつ言いながら 私は歩いていた


ことばの教室を開いてから そろそろ四半世紀になる
私の仕事の流儀があるとしたら
基本は父の乾物屋方式だ 
歳を経るに連れて  
つくづくそう思う
by skyalley | 2009-08-03 06:20 | 父・母
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