触ることからはじめよう
by skyalley
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対決するもの から 背後から包むもの へ

日曜日の午後
いつものように書画骨董の鑑定の番組を観て
「光悦〜〜?! ご冗談でしょう」とやじり
「曽宮一念 やっぱりすごい!」 と感じ入ったりした後
いつものように NHKの「こころの時代」に


講師は恐山菩提寺の南直哉(じきさい)さん
昭和33年生まれ
高野山で25年の修行の後
五年前から住職の代理である院代とのこと


ご自分が培ってこられた言葉で語られておられ
とても関心を惹かれた
先程 ご自身のサイト「恐山あれこれ日記」に書かれていた
彼の話すことに対する姿勢を読み
納得が行った


  褒められたことではないかもしれませんが、
  私は自分が「言わなければならない」「言いたい」「言うと面白い」
  と思うこと以外、書いたり話したりすることができません。
  メディアの注文に合わせて適当に話を変える気に、
  そもそもならないのです。
  しかも、私は「わかりやすく」語ることに関心がありません。
  こだわるのは「リアルに」語ることなのです。
  「わかりやすさ」と「リアルさ」はイコールになるとは限りません。

  したがって、テレビ・ラジオの場合、
  自分がテーマに共感できて、
  ある程度の時間をとってもらえる単独インタビューでなければ、
  話している自分も視聴されている方々も、
  「面白い」ものには決してならないでしょう。


ということで 私にはとても「面白い」お話であった
中でも
死というものは 若い頃は「対決するもの」であったが
今は「背後から包むもの」になった
と語られたとき すっかり驚いてしまった
それと同じ思いを抱いている「もの」が 私にもある


「母」 である
私が若かった頃 彼女は 私の心の真ん中を占領していて
常に「対決するもの」であった
25年前に (25年も前に!) 54歳で亡くなってからは
時が経つに従って
私は自分なりに 勝手に母と折り合いを付けてきた 
今は 私を「背後から包むもの」となっている


わからないものの代表である「死」
わからないまま逝ってしまった「母」
どちらも いまの私にとっては
「背後から包むもの」に思える
by skyalley | 2009-02-02 03:25 | 父・母
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