触ることからはじめよう
by skyalley
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カテゴリ:うちのひとびと( 44 )
単純・明解・自立


夜中 トイレに起きたら
居間の壁に見慣れぬ物が薄明かりに見えた
3枚の水色い封筒が並んでいる
「あさ」「ひる」「よる」


5歳の孫息子には喘息の気がある
季節の変わり目の今頃は
気管が落ち着かず
先日 母親のももと一緒に通院した


4種類の薬を一日三回飲むことになったようだ
封筒の中には翌日分の薬が用意されていた
「そうたぁ お薬 飲むよぉ」 
「はーい!」薬の袋にまっすぐ向かう声


寝静まった家の片隅で
翌朝の二人の声が聞こえた

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by skyalley | 2011-10-15 10:02 | うちのひとびと
人生は鮭半身

目覚ましが鳴る
オットが止める
「ごはんは?」
「う。。。ん たべる。。。」
学業の大変さ
副業の大変さ
その上この暑さ
このごろオットは
食欲がないこともある
えらいこっちゃ



昨夜解凍しておいた銀鮭を三尾
味噌汁を作りながら焼き始めた
オットと娘と孫息子 三人が囲む食卓のそばに座って
私は団扇で風を送っていた
昨夜 遅くまで調べ物をしていたので
食欲はあれど 眠くてたまらない


何とかオットを見送ったが そこでガス欠
娘と孫息子に 早めのいってらっしゃいを言い
午前中の受業が始まるまで小一時間眠ることにした


目覚ましが鳴る
のろのろ止める
猛烈な空腹感を抱えて
階下にから転げるように台所へ
しかし あぁ。。。
そこで見た物は 
流しにあった鮭の骨がわずかに残る皿
鮭 食べたかったなぁ。。。
とてものことに一瞬呆然としたが
すぐに思い直した
「よかった 三人で三尾 おいしく食べたんだ
 よかった」


向きを変え 後ろの冷蔵庫を開ける
すると あぁ!
そこで見た物は
きれいに包まれた鮭の半身
何といううれしさ
何というありがたさ
娘が私の分を取っておいてくれた


手を合わせて
一人の朝食を家族のテーブルで頂いた
鮭を楽しみに起きてきて
食べられていたことにがっかりし
それでも家族が喜んで頂いたことに喜び
その上に
私にもちゃんと残しておいてくれたことに感謝した。。。
ささやかな日常の
ささやかな出来事


でも ここに人生がある
そう思った
たとえ とマルティン・ルターは言った
「たとえ明日世界が終わるとも 
 今日私はりんごの木を植える」
放射能の被害者のみならず 
加害者になってしまっても
今日一日に最善を尽くし 感謝して暮らす
そのことになんの変わりもない と
by skyalley | 2011-06-30 14:30 | うちのひとびと
明治38年 1905年神奈川県・大山生まれ




90代で亡くなった父方の祖母は1905年生まれ
90代で と亡くなった年齢を明確に言えないのは
息子である私の父が亡くなった後も
妹に祖母の面倒を任せっきりで
それだけ私が彼女と疎遠であったからだ


子供の頃は彼女のすることなすことが嫌だった


たとえば水の扱い
流しの洗い桶の中に 一度使い終わった水を
捨てることなくいつまでも取っておく
たとえば紙の扱い
隠し(ポケットをそう呼んでいた)に
一度鼻をかんだちり紙をいつまでも取っておく
たとえば洗濯物の干し方
私が家族の下着を日によく当たるように干すと
祖母は「おてんとさまに・・・罰が当たる」
とぶつぶつ言いながら 日陰に干し直した
トイレに入ろうとすると 真っ暗な中にうずくまっていたりもした



その水で 使い終わったコップをチャチャと洗う
その紙で 私の鼻水を拭こうとする
「きったないよぉ ばあちゃん。。。」
よくそう言い放った
「電気つけてよ」と言っても 何にも応えないで用を足す
表情を変えることなく
訳を言うでもなく
その水を まだ張ったままにしてはばからず
私の鼻水がついた紙を また隠しに戻した


あちらもで孫がかわいいという様子がなかったので
親しみが持てないばあちゃんであった
明治38年 1905年神奈川県の大山生まれ
関東大震災
第一次世界大戦
第二次世界大戦
東京大空襲を経て 生きてきた


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近所の馬事公苑で 芽吹かんばかりのケヤキを仰いだ
木はいつものように日常を生きている


祖母のことを この頃よく思い出す
by skyalley | 2011-03-22 18:32 | うちのひとびと
靴のような靴下

金曜日の朝
栃木県の那須でパン屋A TABLE! を営む妹から
いつものように販売用のパンが届いた
箱の底の方に何か包みが見える
開封すると
きれいなきれいな色の靴下が出てきた

妹が手紙を添えてくれていた
曰く



この靴下の編み方は日本スキージャンプ界の草分け
猪谷六合雄さんが
既成のスキー靴下に飽きたらず
八年かかって考案 完成したものです
独自の記号と編み方なので
『暮らしの手帖』が「解読」
その号を れんちゃん(姪;私の長女)が送ってくれました

さすがに八年かけただけあって 型崩れがしない
足首と土踏まずのしまり
踵と爪先の立体感は必要から生まれた用の美 
感心しました

雪に閉じ込められた今冬
手持ちの毛糸とMさんに頂いた昔の中細・極細毛糸を組み合わせて
「毛糸や道具を新たに買わない」をテーマに編んでみました

色の組み合わせも楽しく
立体的になっていくのも楽しく
この冬の唯一の生産的行為

三足編んで手が慣れてきたので
そちらにも一足編みました
残念ながら最後の爪先部分で糸が無くなり
別糸となってしまいましたが
はいてみてください

これは靴下というより「靴」です


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手紙を読んで すぐに履いてみた
足にぴったり! 
やわらかでいて そしてしっかりした靴を履いているよう
すぐに足下がぽかぽかしてきた
いつも足が冷たくて 顔は火照るようだったのに
足下に重心が落ち 心地よいことこの上ない


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亡くなった母は編み物が得意な人だった
私はまったくできないけれど
妹 そして私の長女がその楽しみを受け継いでいる
すてきな力だ
それにしても中細・極細毛糸を使ったとは
何と手数がかかったことだろう
そのことを楽しいと思える妹
那須の高原に独り
雪に降り込められていながら
せっせと編み針を動かしている妹が
母が編み物をしていたときの姿と重なった


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by skyalley | 2011-02-18 18:23 | うちのひとびと
重厚長大の原点へ
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オットが 「奈良遷都1300年記念行事」のメインイベントである祝典の
舞台演出を担当させて頂いたので
私も おかげさまで
今年は10月と12月の二回も奈良へ行くことが叶った


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伊勢や出雲のような本殿は設けず
拝殿の奥にある三ツ鳥居を通して
三輪山そのものを神さまとして拝するという
原初の神祀りの様が伝えられている
我が国最古の神社 大神神社(おおみわじんじゃ)


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1200有余年前
その大神神社の宮司の次男が
三輪の土地と 三輪山から流れ出る清流が
最も小麦の栽培に適するのを知って種を蒔かせ
小麦粉を原料に創った麺
それが 遠く万葉の昔から
大宮人が宮廷において保存食として重宝した三輪素麺


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佛法元興の場であり
聖教最初の地である元興(がんごう)寺境内に
百済の職人によって初めて伝えられた古瓦が残る極楽堂・・・


奈良は原初のもの・ことに溢れている


東京という街で暮らしていると
SINCE(創業)1960などと書かれた店の看板を
よく見かける
江戸時代からなどとなれば
うぅん 400年続いているのか
それはかなり旧いぞ と思ったりもする


何か面白い
何か気を引くような
何か売れそうなもの・こと・・・
根拠や実態は定かではなくても
常に何か新しいもの・ことに貪欲な空気に溢れている東京
そこでは軽薄短小が好まれ 
ひとびとの重心は上の方にあって 不安定


たった二回の奈良滞在であったが
「そもそも」「もともと」に溢れる文化遺産を
1300年護ってきた街の佇まいは
半世紀以上東京で暮らしてきたよそ者の目には
重厚長大に映った
もちろん 旅行者と居住者では視点も視座も違う


が 東京での生活において
常に 「そもそも」「もともと」 つまり
物事の起源を知りたい気質の者にとっては
重心がぐんと下がり 
とても安定し 腑に落ちた満足感を味わった


1300年前 710年に
奈良の都で この国の人々は 世界に向かって
初めて「日本」と名乗り 「日本人」と名乗った
その「始まり」の平城宮へ 原点へ
立ち返ることが出来たこと
そして更に韓国・中国のひとびとへの恩
一日本人として とても貴重な経験をさせて頂いた


二年を費やした祝典準備の間に
あちこちを取材して うつくしいところ
美味しいところをしっかり憶えていて
この機会を私と長女に与えてくれたオットに
とても感謝している


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祝典演出の為 二年の間に一度だけ
正門脇の事務所で打合せを済ませると 
境内に入らぬまま30分で去らねばならなかったという唐招提寺
オットは その石畳をゆっくり歩んでいた
「平城遷都1300年祭 感謝の夕べ」の一部を演出するため
記念行事の最後の仕事として奈良に招かれたオットの背を
娘と一緒に見ていた


仕事を通して よい縁を結べたこと
奈良のひとに感謝されるような
奈良の歴史に残るような
よい結果を結ぶことが出来たこと
それも二年間
学業と両立させてやり遂げたオットを 
誇りに思っている
by skyalley | 2010-12-20 23:18 | うちのひとびと
工夫のひと
たとえA社とZ社は「犬猿の仲」と言われていようが
仕事は会社と会社がするわけではない
オットはたまたまA社に勤めるよき人と仕事をし
Z社に勤める信頼のおける人を知っていたので
先日 その二人の紹介を思いつき 早速 機会を作った
私も遅れてその席に加えてもらったが
すでにその場は 和やかで創造的な雰囲気に溢れていた


大人になってよかったな と思うことはいっぱいあるけれど
自分から望まなければ試験が無い ということはその一つ
オットは試験を望んだわけではないが
去年の春から鍼灸指圧師養成の学校を希望したので
来年60歳ながら必然的に 試験を受ける という境遇にある
一年生の時 
点字を覚えなければならないということになったとき
彼は夏休みに視覚障害者の級友に
点字で手紙を書く ということを自分に課して勉強した


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10月に誕生日のお祝いをしたが
彼と同い年の一同級生は仕事をしながらの学生生活
登校するのもままならない
従って受けられない授業も出てくる
今回の試験前 
オットは自分のために作ったA4サイズの試験用要点を
その弱視の級友のためにA3サイズに拡大して手渡した



試験はあと二日
がんばれ がんばれ
短い睡眠時間に英気を養え!
二階の寝室から洩れてくる寝息に声を掛ける
来年もう一度の試験を受けたら 春には三年生だ
出会ってから40年が経つが
自分のため が 自然とひとのためになる工夫をし
日々を暮らしている姿勢はずっと変わらない
by skyalley | 2010-12-02 02:45 | うちのひとびと
「平城遷都1300年記念事業」
710年に平城京ができてから1300年
その国家的行事を執り行ってきた奈良の記念事業協会から
平城宮跡地会場の諸行事が 11月7日
盛会のうちに閉幕を迎えた という挨拶状を頂いた


10月8日に 
主会場となった平城宮跡で開催された祝典には
天皇皇后両陛下もご臨席
国内外の多くの方々も出席された


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二年前から祝典の舞台演出の仕事に携わっていたオットの関わりで
舞台で使われた木簡に数首の和歌を揮毫させて頂いた
木簡は紙の無かった当時に使われていた木札だ
祝典当日 末席に座し 私は木簡に向かってシャッターを切った


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木簡に書かれた文字を気にしながら
観覧し 撮影していたのは
会場に集った約1800名の方々の中でも
私一人であったろうと ちょっと可笑しかった


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10月の記念祝典から約一ヶ月が経った日曜日
オットはようやく「夕飯でも作ろうかな」と言った
記念祝典を始め 諸行事は成功裏に執り行われたとのこと 
行事に関わった方々の二年間の労苦が報われた

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          祝典を見守る関係者

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奈良の澄み切った空を
東京に帰ってからもオットとよく話題にした 
行事に関わった方々にとっても 奈良にとっても
本当に記念となる一年であったことと思う


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by skyalley | 2010-11-21 21:37 | うちのひとびと
奈良で  ③


近鉄奈良駅に着いたとき
迎えに来てくれたオットが駅の売店に直行
「今日のお昼はこれ!」と鰻弁当を薦めてくれました
店員から受け取ると ズっシンという手応え
鰻の多さもさることながら 餅米の炊き込みが敷いてあるとか


その重さの加わった鞄を持って
奈良の地に来させて頂いたお礼をと
まずは法隆寺へご挨拶に
その後 志賀直哉旧居にでかけましたが
館長さんとの話が弾み 結局数時間を過ごしました


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       木の洞に根付いた「あかまんま」
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       青空に負けぬ深さの黄金虫



昼ご飯を あのお弁当をどこか気持ちの良いところで
と外へ出ると
木立が心地よい蔭を作っている空き地が。。。
早速ハンカチを広げ 鰻弁当を広げ 
吹き渡る風に吹かれ 充実の時空間に恵まれました



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    近鉄線大和西大寺駅構内の売店でお求め頂けます お薦めです
by skyalley | 2010-10-13 14:02 | うちのひとびと
奈良で  ②

急に奈良行きが決まったので
どこで何をするかを決める間もなくでかけました
翌日の遷都1300年記念祝典へ
お招き頂いたことを感謝するため法隆寺へお礼詣りをしたあと
一旦戻った宿泊先のロビーにあった案内書で
志賀直哉の旧居の写真を見たところ
一瞬で ここだ! と決めました


ホテルがある近鉄奈良線の新大宮駅前交番で
「東京から来たのですが
  観光をするには何を気をつけたらいいでしょう」と尋ねました
東京に出張でよくでかけるという年配のお巡りさんが
「東京のように一日であちこち行かれるほど
 交通網が発達していないし
 乗り物の本数が一時間に一本とか二本というのはざらです
 ここでは欲張らずに一カ所決めたら
 そこを中心に愉しむというのがいいと思います」と助言して頂きました


素晴らしい快晴に恵まれ
私は意気揚々と志賀直哉旧居を目指してでかけました
遠目に家の周囲の土塀が見え
門から玄関への路を見たときに
やはりここに来たのは大正解だ と思いました


旧居は
昭和28年に建物の老朽汚損が進んだため
建て替え計画が持ち上がったところを
全国的な署名運動が展開され
昭和53年に奈良学園が取得し
大規模な修復工事を行って記念館として開館したそうです


昭和4年に移り住んだこの邸宅は
奈良公園に隣接し、御蓋山、春日山、若草山、高円山などを借景とし
鳥の囀りしか聞こえないような静寂さでした
志賀直哉自らが設計の筆を執り
友人に紹介を受けた数寄屋大工の棟梁である下島松之助に
邸宅の建築を依頼したそうですが
家のあちこちに 二人の理想の合作が見られました


志賀直哉の壮年期の13年間の奈良での暮らしでは
多くの文化人達と芸術を論、
友人・知人達との心の交流を大切にしたと同時に
家族の平和と健康をのぞみ
子供達の家庭教育を行い
家族の絆を育んだ生活であったことが感じられました


たまたま居合わせた10数名の来館者が
当時のままに遺されている食堂の椅子に集まると
館長さんが 
志賀直哉という人柄や志そのものが形になった建築
という観点からお話をして下さいました


「家族を溺れぬように愛する」ということを書き残している
という志賀直哉
「溺れぬように」とわざわざ言挙げしているということは
どういう背景があるのだろう と不思議に思って
館長さんにそのことをお尋ねしたら
館長さんも着席され 
そのまま約2時間ほども語り合ってしまいました


話している間中
佳い風が邸宅内を吹き渡り
金木犀の香りもかすかに流れてきました
さまざまな陰翳が家のあちこちに踊り
まったく仕合わせな時間でした


雨の日は またどんなに素敵だろう
奈良に来られることがあったら
また是非 と思いつつ 旧居を後にしました


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by skyalley | 2010-10-12 20:23 | うちのひとびと
奈良で  ①


オットがこの2年間舞台演出を務めてきた催事が 
8日奈良で開かれました

主催の「平城遷都1300年記念事業協会」から
ご丁寧な招待状を頂き 
私も緊張しながら7日に奈良へでかけました
着いてすぐに
翌日の催事のつつがない進行を願って
法隆寺に行き 手を合わせました


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おかげさまで
当日午前中は ほんとうに極上の空でした
by skyalley | 2010-10-10 22:21 | うちのひとびと