触ることからはじめよう
by skyalley
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カテゴリ:父・母( 17 )
商いは信用

ふ と思い出した
子どもの頃のある晩の両親のやりとり
私は襖一枚を隔てた部屋で妹たちと布団に入っている
お客様は ほとんどが近所の顔見知りという
小さな乾物屋を 両親は営んでいた
父はいつも一日の終わりに帳簿を付けていた


父が母に訊いている
「今日 らっきょ 売った?」
「らっきょ? 売ってな・・・い かな 売ってない どうして?」
「いや・・・」


それからまた数日して同じやりとりがあった
「らっきょ 売った?」
「らっきょ? 売ってないと思うよ 今日でしょ? 売ってないよ」
「おかしいなぁ また1つなくなってる・・・
 5つ並んでるだろ さっき見たら3つしかないんだ」
「おかしいねぇ・・・ 誰か取ったんだろうか」


父は少し気色ばんだ
「お前 もし誰かが取ったのを見ても 言うんじゃないよ」
「え・・・だって・・・」
「いいんだ」
「何で・・・」
「うちのお客さんなんだから いいんだ 言うなよ」
「・・・・・」
母は不満そうなのがわかる 
私はまた床の中からそのやりとりを聞いている


昨日習字に見えたお向かいの遠藤さんにこの話をしてみた
酒屋さんの奥さんである彼女は私の話に大きく頷いた
「そうよ うちだって絶対に言わない
 たとえ取った物でポケットが膨らんでても 
 言うな ってお父さん(ご主人)もそう言うものね
 お客さんに後ろめたいところがあっても
 それはお客さん側のこと
 うちのお客さんで来てくれる限りは信用する
 そもそも
 取られるような置き方するこっちが悪いんだって
 そう思え って
 そう教わりました」


遠藤さんご夫妻は70代
私の両親が生きていれば80代だ
一昔前までは 「商いは信用」ということが当たり前だった
今更ながらにそう思った
私も商人の娘として このことを忘れずに務めよう


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それにしても
変なことを憶えていたり 思い出したりするものだ
by skyalley | 2010-11-28 00:53 | 父・母
もう石拾いはしない

秋風が吹くと 
いつも河原へ石を拾いに行きたくなる


子どもの頃 父に連れられて
庭の花壇の囲いなどに使うために
ときどき多摩川に石を拾いに行っていた
私には父がどんな石を探しているのか
具体的にはわからないので 拾っては父に見せる
「うん いいな」と言われるととても嬉しく
「ん〜 ・・・」と言われると かなりがっかりしたものだった


秋の透き通った風が河原を縦横に吹き渡る
川面は静かに細かな煌めきを湛えている


石にはそれぞれ学問的には名があるはずだが
私の好きな石は 掌に乗せて座りのいい石 
河原を引き上げるときには
その日の「一番石」をポケットに
掌でずっと石を転がして 帰ったものだった


子どもの頃から拾い集めた石を 私はまだ持っている
毎年 必ずどこかの河原で拾った石を 私は集めてきた


しかし今年からは もう石拾いをしない
テレビ番組「ようこそ先輩!」で
私は長沼毅(ながぬまたけし)氏を初めて知った

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1961年生まれ 生物学者
海洋科学技術センター(現海洋研究開発機構)研究員時
「しんかい2000」「しんかい6500」に乗船
水深数千メートルの海底を調査
94年より広島大学大学院生物圏科学研究科助教授
現在准教授
専門は生物海洋学・微生物生態学
砂漠、南極、火山、地底など
極限環境に生きる生物を探して地球中を駆け巡る

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「生命の起源を旅しよう!」と題された授業で
彼は聴講する小学生を学校近くの神社に連れて行き
取ってきた石の断面を大変精密な顕微鏡で見せてくれた
そこに うごめく微生物がいたのだ
石の中でも生きられる生き物がいる!

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自称「辺境生物学者」の長沼氏は
その微生物を愛おしそうに見 そして話した

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「海底火山の硫化水素が出ているような処でさえ
 生き物が生きている チューブワームだ
 生命の起源の場は 地獄のような処だったかも知れない
 しかし
 生命は はびこる そしてざわざわしている
 生命は にぎやかで すごくたのしい

 元々生命なんかいなくたって困らない宇宙が
 僕たち生命を選んだ
 きっと何か望んで 選んだ
 君たちは 僕たちは宇宙に愛されている
 これが事実だ」


今まであちこちの河原から
形がいい 色がいい 手触りがいい 座りがいい と
私の一存で持って帰ってきてしまった石に
そこを選んで暮らしていたかも知れぬ微生物に
初めて申し訳なく思った


秋の日を浴びての石拾いは
私の趣味のかなり高位についていた が
あの微生物を知ってしまったからには
もう 石拾いはしない
とてもサミシイが もう しない
by skyalley | 2010-10-19 22:09 | 父・母
私物は肩幅に
孫息子・颯太を保育園へ迎えに行ってから
母親のももが帰るまでの2時間
私は夕飯を作り 颯太は一人遊びをしている
一人と言っても何かしてはすぐに「みてぇ! 」と呼びかけてくる
料理をしながら 私は台所と食堂を行ったり来たりしている


夕飯が出来たので 颯太にナイフ・フォークを出すように頼んだ
「わかった」「おっ えらいね」
料理を食卓に運んでくると 颯太は自分の分しか揃えていない
「どうして自分のだけ出したの 颯太」
「だって かっくんはじぶんでだすかな とおもって」
「颯太とかっくんが一緒にいるとき 
 かっくんが自分の分だけご飯作ったことある?」
「ない・・・」
「いっしょに食べるんだから いっしょに用意しようよ」
「わかった」


受業の時間が迫っていたので 私は先に食べ終え
着替えるために食堂からクローゼットに行く途中で
玄関にお弟子さんの分のスリッパを二足並べて出した
それを見ていた颯太 「ももちゃんのスリッパもだしてあげようよ」
ヤラレタ!


子どもの頃 机や食卓に座ると 母にいつも
「自分の持ち物は自分の肩幅に収める!」と注意された
隣に誰かがいるときはもちろんのこと
いてもいなくても 私物は肩幅に収める気持ちで
机を独り占めするほど広げて物を置かない ということだ


幼い私には 常に理をまったく言わず
そういうことだからそういうことなのだ という物言いの母に
小さな眉間の皺を更に深めることはあっても
その時 その場で 「なるほど」と思ったことは
一度としてなかったと言っていい


しかし 母が他界した歳を越え
それだけ人様との関わりも重ねてきた今頃になって
母がしつこく私に言い含めようとしたことに対して
「な〜るほど〜!」と思うことは多々ある
そして年々増える


自分がいる = 他者がいる
自分がいたら 他者もいる ということを
常に心に含めての立ち居振る舞いを ということであったか
母は孫であるももが生まれて3ヶ月後にアノヨへ逝った
コノヨの曾孫をどこで どうみているだろう


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by skyalley | 2010-03-31 00:40 | 父・母
いる = つながっている


私は乾物屋の長女として育った
間口三間ほどの店の奥の居間で
食べたり 妹たちと喧嘩をしたり
今思えば丸見えだったはずだが そこで着替えたり
店に来られるお客様と両親とのやりとりを
ずっと 聞くともなく聞きながら 育った


味噌や醤油 海苔や豆腐
一人暮らしを始めてから
初めて靴を履いて お金を持って
それらの食材を買いに行く という事態になって
「お父さ〜ん お味噌〜」 と店の方に向かって言えば
すぐに手に入っていたことのありがたさを知った


しかし 子どもの頃は
「かんぶつや〜!」  同級生の男の子に
そう囃されるのがとても嫌だった
家が いつも外に対して開かれていることも嫌だった
サラリーマンの家庭 
当時増えてきたアパート暮らし
鍵を掛けること 鍵を持っていることが羨ましかった


群青色の縁の付いた白い琺瑯(ほうろう)に
とりどりの豆や 昆布などの煮物を並べ
半径2キロほどに住まうお客様を相手に
ささやかに商いをしていた父 母
ある日 その容器に盛られているうずら豆の山が
崩れていることを父に知らせた


「いいんだよ」 と父 「どうして」 と私
「この端っこの少し焦げてるのは 裏のイ〜さんのお爺さんの
 こっちの端っこの柔らかいのは お向かいのロ〜さんのお婆さんの
 こっちのちょっと堅いのは学校の裏のハ〜さんが買いに来るの」
両親の煮る豆は 時によって炊き具合が一定しない
そんな時に お客様の好みによって 取り分けておくのだと言う


好みの豆を 買いに来るはずのお客様が見えないと
 「ハ〜さん 来ないな 具合でも悪いかな
  お前 ちょっと行ってみておいで」 
豆を持って遣いに出された
「いいのに 行かなくても 欲しければ 買いに来るのに」
心の中でぶつぶつ言いながら 私は歩いていた


ことばの教室を開いてから そろそろ四半世紀になる
私の仕事の流儀があるとしたら
基本は父の乾物屋方式だ 
歳を経るに連れて  
つくづくそう思う
by skyalley | 2009-08-03 06:20 | 父・母
母からの伝言

明け方 お手洗いに起きた
   あれっ  今 叔父と叔母の夢を見ていたな
と そう思いながら もう一度床に戻った
数時間後 目が覚めるまで こんどは
その叔父夫婦の家で ごちそうを頂いている夢をみていた

叔父は母の弟にあたる人
初めて夢に現れた
これは母が 
自分の代わりに 祖父母のところにお彼岸の挨拶に行って
と そう告げてきたのだと 思った

すぐに叔母に電話をし お線香を上げに伺いたいと話した
叔母の声はいつものようにぶっきらぼうながら温かい
母がいつも持っていっていた祖父の好きなお酒を買って
娘と孫息子とでかけた
叔父も叔母も とても歓待して下さった

朝 二人の夢を見たことを
すぐに母からの伝言だと思ったことは
考えてみれば 私にとっては一大事ではある
生前 母の望みをよくよくわかっていながら
決してそれには従わなかった私だったのだから

初めて 母の意に添ったことをしたのだとしたら
それには 
なんと
55年 
かかった

やれやれ・・・
かかる
かかる
by skyalley | 2009-03-23 02:15 | 父・母
対決するもの から 背後から包むもの へ

日曜日の午後
いつものように書画骨董の鑑定の番組を観て
「光悦〜〜?! ご冗談でしょう」とやじり
「曽宮一念 やっぱりすごい!」 と感じ入ったりした後
いつものように NHKの「こころの時代」に


講師は恐山菩提寺の南直哉(じきさい)さん
昭和33年生まれ
高野山で25年の修行の後
五年前から住職の代理である院代とのこと


ご自分が培ってこられた言葉で語られておられ
とても関心を惹かれた
先程 ご自身のサイト「恐山あれこれ日記」に書かれていた
彼の話すことに対する姿勢を読み
納得が行った


  褒められたことではないかもしれませんが、
  私は自分が「言わなければならない」「言いたい」「言うと面白い」
  と思うこと以外、書いたり話したりすることができません。
  メディアの注文に合わせて適当に話を変える気に、
  そもそもならないのです。
  しかも、私は「わかりやすく」語ることに関心がありません。
  こだわるのは「リアルに」語ることなのです。
  「わかりやすさ」と「リアルさ」はイコールになるとは限りません。

  したがって、テレビ・ラジオの場合、
  自分がテーマに共感できて、
  ある程度の時間をとってもらえる単独インタビューでなければ、
  話している自分も視聴されている方々も、
  「面白い」ものには決してならないでしょう。


ということで 私にはとても「面白い」お話であった
中でも
死というものは 若い頃は「対決するもの」であったが
今は「背後から包むもの」になった
と語られたとき すっかり驚いてしまった
それと同じ思いを抱いている「もの」が 私にもある


「母」 である
私が若かった頃 彼女は 私の心の真ん中を占領していて
常に「対決するもの」であった
25年前に (25年も前に!) 54歳で亡くなってからは
時が経つに従って
私は自分なりに 勝手に母と折り合いを付けてきた 
今は 私を「背後から包むもの」となっている


わからないものの代表である「死」
わからないまま逝ってしまった「母」
どちらも いまの私にとっては
「背後から包むもの」に思える
by skyalley | 2009-02-02 03:25 | 父・母
暖簾の仕事


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永いこと銀座で仕事をしてこられた80代の知人からの話
渋谷に食事に出たが まったく昔と変わってしまったので
とりあえず暖簾が出ている店を遠目にみつけて 友人と入ろうとした
ところが店の前にまで来たら 「支度中」と書かれた木の札が掛かっていた

「暖簾が暖簾の仕事をしていないんだよ
 これじゃ 中の人間も仕事をしていなさそうだ と思って
 仕方なく また別の店に行ったよ
 気をつけて見てみると そんな店が多いんだ
 銀座じゃ そんなことなかったがねぇ」

乾物屋を営んでいた両親は 毎朝夕 暖簾を出し入れしていた
学校から帰る途中 大きめのハンカチ大の白木綿を繋いだ暖簾が
風にはためいているのを 遠くから認めて 「あ 私のうち」 と
なんだか いつでも うれしくなったものだ

それが駅近辺にマーケットが出来るようになると
シャッターという重く 鬱陶しく うるさく 風情のない代物に変わった
シャッターは遠目では見えにくいから 開店なのか閉店なのか
店の真ん前まで行かなくてはわからない

私は暖簾が好きで これまでも 家の中のあちこちに
骨董市でみつけてきた布で作った暖簾を掛けてきた
が いつかは 教室が開いている ということを知らせるための
外用の暖簾を欲しいと思っていた

先日 教室の模様替えをしていたとき
夏用の座布団掛けが必要になった
骨董店に行ったときに 店主に訊いてみた
訊いてみるものだ

店主は 「よく訊いてくれました
 去年も売れ残って 毎年そんなだから
 今年はもう蔵にしまったきりにしてあるのが あるんです
 近いうちに持ってきますから」 と喜んで下さった

果たして 後日訪ねてみると
期待以上の品が目の前に用意されていた
一反の倍 一匹(24メートル) まるまるの手つかず
掛け紙がついたまま 色焼けもない 浅黄の本麻の縮

店主が提示して下さった値は
コノヨの物とは思えないほど温情に包まれていた
座布団を作っても まだまだ余るので
早速 うきうきと三枚はぎの暖簾を作ってみた

早朝 庭仕事を終え 家の仕事を終えてから
教室を始める前に出して
一日の受業が終わったときにしまう暖簾ができたことで
日々にまた愉しい彩りができた

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骨董店の村瀬さん
おかげさまで みなさんに好評です 誰より 私に好評です
素晴らしい布を大切に取っておいて下さって
ありがとうございました

忙しい仕事の合間に
黒竹を用意し
暖簾を掛けやすいようにして下さった佐野商店庭師の徹君 
ありがとうございました
by skyalley | 2007-06-05 23:15 | 父・母
散歩に行こう おかあさん
先日 朝の快晴からは想像が及ばなかったが
突然あたりが薄暗くなったかと思ったら
すぐ近くで雷鳴が轟き
暗雲が棒のような雨を落としていった
そして にわかに日が射してきた

わたしは自転車で区役所へ向かった
あちこちの町角で
「凄かったわね さっきの雨」と
おくさんたちが立ち話
道中の緑がますます深く茂りだしているのがわかる

区役所の戸籍課で
父の遺産分与に関するあれやこれやの書類を
こどものおつかいのような気分で
揃えてもらうように頼む
担当者に何かを問われても その言葉の漢字が想像できない

ようやく書類が整い
堅苦しい雰囲気から解放され
外に出てみると澄んだ青空が広がっていた
急に「おかあさん 晴れたから 散歩に行こう」と
心の中で誘いの声が上がった

母が亡くなって25年
生前いっしょに散歩をした記憶はない
京の親友 上田万里さんが
母の日に撮ったとてもよい御尊母の写真を
出がけに見せて頂いたせいかもしれない

わたしはあんパンを一つ買って
近くの公園に行って
ベンチに座り
鞄からお茶を出した
あんパンは一人で全部食べた

好きなことを母に話したこともないし
好きなことを母と共有したこともない
そしてそのまま別れてしまったけれど
「散歩に行こう」という言葉が
ふいと胸をついて出た


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by skyalley | 2007-05-17 01:52 | 父・母
裁縫台

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オットが物置として借りていた部屋を明け渡すことになった
片づけ下手のオットは
友人に手伝って頂き 先週末何とか引越を済ませた
その途中で受業をしていた私に電話があった

「長くて重たい板があるんだけど これってうちのかな・・・」
「長くて重たくて・・・ どんな板?」
「墨が付いたり点線がいっぱいついているんだけど」
「あぁ うちの! うちの!」

長いこと放置していた板を思い出した
娘時代に文化服装学院で学んでいた母は
和装・洋装両方の仕立てを身に付けていたひとだった
その母が何かにつけ使っていた板だ

私たち三人姉妹の服はいつも
長女の私が青 次女が黄 三女が桃色と決まっていて
母は乾物屋を営みながら
お客様の合間を縫って服作りにいそしんでいた

裁縫台の木の四方はどこもかしこも丸くなって
表面には布の印付けに使った象牙の道具の痕
私が子どもの頃に習字の練習で付けた墨の跡など
さまざまな痕跡が残っている

怪しいほどの季節の進み具合
戻ってきた母の裁縫板を机代わりに
新芽の吹き出した鉢の木々を見ながら
外で勉強できるうれしさは格別

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今 その机に珈琲とノートパソコンを持ち出して
成田の近くから勉強に見える早恵さんを待ちながら
この日記を書いている
小さなすみれも風に揺れている
by skyalley | 2007-03-10 10:29 | 父・母
 de Luxe


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こどものころ
母の鏡台にいつもあった

乾物屋の奥さんとして
母は
朝もはよから煮豆や昆布巻き作りに精を出していた
化粧などまったくしなかったから
鏡台の引き出しの中は
頂き物のコンパクト
からからに乾いた粉
先が埃を被った刷毛
そんな物しか入っていなかった
それでも
その瓶は鏡台の上にいつもあった

なんてきれいなんだろう
色も
字も
模様も
外国語なんか知らなかったけれど
de Luxeの意味をその書体が教えてくれた
こんなにすてきなものがあるんだ
世界ってすてきだな
こどものわたしに
そう思わせてくれた

その蓋に指の先を這わせて
文字や意匠の凹凸を
ていねいに
少しずつ
なぞるのが好きだった
なぞり終えると
きれいになったような気がした

今は吐くほどの化粧品が出回っている
私も化粧はしないけれど
その瓶を購めて使っている
別の会社製のさらさら液と混ぜて
ちょうどいいクリームにして使っている

今でも毎朝
すてきだなと思う
by skyalley | 2007-02-14 18:20 | 父・母