skyalley:ひと
2011-12-18T21:53:30+09:00
skyalley
触ることからはじめよう
Excite Blog
特別のアドベント・カレンダー
http://skyalley.exblog.jp/16966388/
2011-12-18T21:53:29+09:00
2011-12-18T21:53:30+09:00
2011-12-18T21:53:30+09:00
skyalley
ひと
2006年 初孫が生まれた年の暮れ
家で開いた忘年会に
友人の涼子さんは大きな箱を持って現れました
それはクリスマスまでの何日かの間
楽しみに包みを開けていくアドベント・カレンダーでした
アドベントadventとは
到来・接近・出現を意味するドイツ語だそうです
イエス・キリストの誕生日を 待ち望む間
子どもたちが日付の書かれた小さな扉を開けると
中に小さなお菓子やおもちゃが入っている
という暦を町でもよく見かけるようになりました
しかし
涼子さんのそれはとても変わっていました
忘年会の6日から25日まで
さまざまな書体で印字された番号が付いた包みが
さまざまな色・形に包まれて
長い長い紐から下がるようになっているのです
私たちは感激しました
が まだ生後半年の孫息子に
これらを触らせるのは残念でなりませんでした
娘に相談し クリスマスまで
それらの包みを一個ずつ開ける楽しみを味わえるようになるまで
しまっておくことに決めました
あれから5年
今年 そのアドベントのお楽しみを出してきました
孫息子は毎朝 起きてくると
「きょうは なんにち?
あれ あけて 13てかいてあるの!」
部屋の高い所から下がっている飾りを指さしてせがみます
家族みんなで 彼が開けるのを楽しみに見守ります
涼子さんにそのことを話すと
「何を包んだかは忘れてしまったけれど
包んでいる間 とても愉しかったことだけは
よく憶えています」と
本作りを学ぶのためにドイツに留学した彼女ならではの
愛情とお楽しみがたっぷりと盛り込まれた
世界にひとつだけの特別のアドベント・カレンダーです
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町内の魚屋さん
http://skyalley.exblog.jp/16774011/
2011-11-03T10:15:33+09:00
2011-11-03T10:15:32+09:00
2011-11-03T10:15:32+09:00
skyalley
ひと
保育園に孫息子の颯太を迎えに行った帰り
「きょう おじいさんとこの おさかな たべたいな」
と自転車の後ろに座っていた颯太が言いました
一旦帰ってから
フランス語の自習をしておられた千秋さんを誘って
近所の魚屋さんにみんなででかけました
もともとその小路には小さいながらも銭湯があり
湯帰りに買っていってくれるお客さんが多かったとか
銭湯がなくなってからは
個人商店だった八百屋さん 肉屋さん
つい最近もお豆腐屋さん と次々に店じまいを余儀なくされました
そんな中 老夫婦でがんばっているのがその魚屋さんです
旬の魚 料理の仕方を教えてくれ
颯太に「ほぉら」と声をかけてから
手際よくさばいて 下拵えをしてくれます
その魚屋さんを知ってから
颯太を抱き上げて 店主のてさばきを見せながら
買い物をするのが楽しみになっています
夕飯の支度を終えてから
千秋さんと勉強の残りを終え
待ち構えていた颯太と空腹を忍んで遊んでくれた彼女に
その日に買ってきたカマス(魳)を一尾持って帰ってもらいました
次の受業を終えた頃 千秋さんから
写真が添付されたメールが届きました
題して「いただかれます」
初めてのカマスに舌鼓を打った颯太が
「カマスって おくちが キスみたいだね」
と言いながら教室に入ってきて
「か〜ます まかすぅ ま〜かす すまかぁ」と
替え歌に興じながら 出て行きました
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一針一針(二)
http://skyalley.exblog.jp/16764083/
2011-11-01T00:32:11+09:00
2011-11-01T00:32:08+09:00
2011-11-01T00:32:08+09:00
skyalley
ひと
知り合いの方が
「あなたのお教室ではクッションを使いますか」と
尋ねられた
幼児教育に長年尽くしてこられた先生
そして 孫息子の人生最初の恩師だ
戸惑いながら「はい」と応えると
「いつか姉が作ったクッションをお持ちします」
戸惑いながらお礼だけを述べた
数日後 先生が珍しく夜に電話を掛けてこられた
「明日の朝9時5分に千歳船橋の改札においでになれますか
私は12分の電車に乗って そのまま仕事に行きますので
ゆっくりお話はできませんが
先日お話ししたクッションを持っていきたいと思います
朝早くて済みませんが 来て頂けますか」
「はいっ 喜んで!」
私は心待ちにして休んだ
大きな袋を持って
先生がプラットフォームからの階段を下りてこられる
大好きな満面のやわらかな笑み
亡くなったお母様の着物からお姉様が作られたというクッション
わざわざ一時停車をしてお届け下さったのに
とても恐縮されて
「本当にご無理ではないですか」と念を押された
次の電車に急ぐ先生を見送り
しっかり包まれた袋を持って急ぎ家に帰った
すぐに開封する
現れたのは得も言われぬ淡い鼈甲色の縞柄絹
どこもかしこも手縫いでまつられ 仕上げられている
自分がいつも座る机の脇に四枚の小さな座布団を重ねた
仕事の手を休めたときに
ふ とそちらへ目をやると
一針一針の起伏に慰められる
ちく ちく ちく・・・
痛そうだけれど 温かな擬音
ちく ちく ちく・・・
]]>
一針一針
http://skyalley.exblog.jp/16760395/
2011-10-31T10:35:00+09:00
2011-10-31T23:54:17+09:00
2011-10-31T10:35:52+09:00
skyalley
ひと
書の稽古に来られた満枝さんが
「ちょっと これを先に」
と大きな鞄からそぉっと出されたのが
手縫いの布の数々
女性社員がフランス土産で下さった一枚の布
真ん中に置いた絵柄の端切れを囲んで
パッチワークを施し 裏を付けた温かな品
その愛らしさに惹かれ 手が動いた と
長年のあいだに手元に集まっていた大きな麻のテーブルクロス
海外の家族に愛されてきた布をようやく活用する機会に恵まれ
躊躇することなく鋏を入れ
あれこれと柄合わせを愉しんだ
ご主人との会社で日々責任ある職をこなし
たくさんの社員の健康を気遣い
お一人で何役もの仕事をこなす毎日
それでいていつも静かなたたずまいの満枝さん
一心に一針一針を刺し続ける後ろ姿が目に浮かんだ
]]>
露伴「心くらむことがあったら」
http://skyalley.exblog.jp/16587971/
2011-09-22T12:00:56+09:00
2011-09-22T12:00:57+09:00
2011-09-22T12:00:57+09:00
skyalley
ひと
『季節のかたみ』幸田文
「こわれた時計」より
父露伴から娘文へ
困じごとにからまれて
心くらむことがあったら
目を閉じて
たとえば貝の産む真珠
たとえば空とぶ鳥などへ
思いを凝らせてみてはどうかと
すすめたい
真珠はまどかで柔らかく光る境地へ
鳥は軽くて自由な境地へ
いざなってくれる
といっても
光も自由も
もとより胸中に見るだけのもの
それが現実の苦を消すはずはないが
心の塞ぎを救って
気息を整えるのに役立つだろう
いまは寒明けの寒さは底
伊豆の湯でも出してやりたいが
店の事情の手前そうはさせられず
せめて気の持ちようだけでも
らくにできたらとおもいやる
心の凍てつくとき
目を閉じて
身の伊豆のいで湯の中と思ってごらん
湯を思えば
湯はきっと答える
]]>
「そりゃぁ よくなりますよ」
http://skyalley.exblog.jp/16504180/
2011-09-03T15:20:08+09:00
2011-09-03T15:20:08+09:00
2011-09-03T15:20:08+09:00
skyalley
ひと
お向かいの酒屋さん
ここへ越した日に
オットが運送屋さんのために飲み物を用意しようと
通りに出てみると 何と家の向かいに酒屋さん!
買い物ついでにオットが挨拶をすると
酒屋さんのおかみさん すぐに
「じゃ まだコップやなんか 出してないでしょ
よかったら これ持ってってください
うちじゃ使わないから 遠慮しないで」
と景品のコップをいくつも持たせてくださった
帰るなりオット
「お向かいの酒屋のおばさん いいひとだったよ!」
幸先の良さをよろこんだものだ
あれから早11年が経っている
先日 酒屋さんに買い物に行くと
おやじさんが出てこられた
おかみさんが 亡くなったお舅さんのことを
とてもよく言っておられたので
「よいお父様だったそうですね」と言うと
「はい 70過ぎてからは ありがとうしかいいませんでした
毎日 ほとけさまをみているようでしたよ」
我が家の孫息子のことを いい子だと褒めてくださったので
「それにしても 孫たちの時代には
世の中はどうなっているんでしょう」と問うと
「そりゃぁ よくなっていますとも
だって みんなよくしようとしているんですもの
そりゃぁよくなりますよ」
そうはいってもぉ。。。 と言う必要がない
確固たるものがそのことばにあった
「ありがたい と思って暮らさなきゃだめですよ
これくらいでいい これくらいで十分てね
私の親戚なんかでも あれがない これがないって
ぶつぶつ文句ばっかり言ってた者は 早く死にましたよ
やっぱり文句言っちゃいけません
ありがたい ありがたい って思わなくちゃ
実際 ありがたいんですから」
酒屋さんのご夫婦
おやじさん78
おかみさん73
台所の窓から見えるお向かいの店の帳場では
今も近所の人が おやじさんを相手に立ち話をしている]]>
五歳の男気
http://skyalley.exblog.jp/16437568/
2011-08-19T16:40:01+09:00
2011-08-19T16:40:03+09:00
2011-08-19T16:40:03+09:00
skyalley
ひと
箱根のホテルの窓から夕焼けを観ていた
窓の下にはバレーボールのコートが張ってある
そこへ二人の子どもが現れた
一人は幼稚園生くらいの男の子
もう一人はやっと歩き始めた女の子
二人は手を繋ぎながら
芝生を歩いてコートのネット下までやってきた
男の子がジャンプするとネットに手の先が触れた
女の子が両手を挙げて「わたしも」という仕草をした
男の子が彼女を抱いて持ち上げたが
持ち上げるのが精一杯で ネットに指は届かない
泣き出した女の子に男の子が言った
「ごめんな にいちゃんにちからがなくて
もっとおおきくなったら
ぜったい さわれるようにしてやる
な ごめんな ごめんな・・・」
泣いている妹を邪険にするどころか
妹の切なさを わがことのように引き受けて
必死に慰めようとしていた彼のことを
私は今も忘れない
もう30年も前のこと
]]>
I LIKE TODAY 清野さん
http://skyalley.exblog.jp/16020489/
2011-05-24T13:05:08+09:00
2011-05-24T13:05:08+09:00
2011-05-24T13:05:08+09:00
skyalley
ひと
先日 tee-shirt-manの清野章宏さんに
http://iliketoday.shop-pro.jp/
田坂広志氏の「東日本大震災 いま、あなたに何ができるのか」を
送ってみた
http://www.youtube.com/watch?v=UO9wZZSJd0w
田坂氏は原子力工学博士
4月27日付で内閣官房参与(内閣の相談役)の職に就いた
http://www.hiroshitasaka.jp/profile/index.html
ややあって清野さんからメールの返事が届いた
彼のご了解を得て転載させていただく
::::::::::::
こんばんは。
ご紹介頂いたサイトを拝見しました。
またしても哲学ですね!ありがとうございます。
考えると言うことは、きっと死ぬまで続くのでしょうね!?
このサイトを拝見して、最初に頭に浮かんで来た言葉が、
パスカルの「人間は考える葦である」でした。
単純ですよね!
これって小学生の時に既に習う、
偉人の言葉ですからッ。(笑)
アホなガキだった僕は、
その意味なんて全く理解していなかったし、
というか興味すら持たなかったのですが、
何故か今日はその意味が知りたくなって、
調べてみたらこんなことが書いてありました。
『葦は少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、
風が去ると、また元のように立ち上がる。
人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、
それに従順に従い、
そして暴威をくぐり抜けて、
また元のように、みずからの姿で立ち上がる。
自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、
柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。
そして何よりも、「考えることができる」
すなわち「精神を持つ」ことで、
ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、
遙かに賢明で、優れた存在である。
人間とは、運命に従順であるが、
しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、
運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ。
この言葉はいまの日本人に向けて発せられている様な気がして、
人間は今一度人間の力を信じて、
勇気を持って強く生きなきゃなぁと思いました。
実は今日僕は、出来るかどうかははっきり言って解らないのですが、
それでもいま僕がやらなきゃいけないことを見つけたんですよ!!
I LIKE TODAY です。
おやすみなさい。
:::::::::::
「思い」という情緒を
「言葉」という論理に置き換えられる
清野さんはその数少ない人だと私は思う
彼の言葉を読んでいると 彼が立ち現れる
今 清野さんのTシャツと
私の象形文字の書とを組み合わせて
赤さん用のロンバースのデザインを始めようとしている
彼のブランド名 I LIKE TODAY と
私の WATCH + TOUCH
1 + 1 がどんな +アルファになるのか
とても楽しみにしている
打ち合わせの席で 静かに熱く語る清野さん
]]>
「ちびくろさんぼ」くん 誕生!
http://skyalley.exblog.jp/15786079/
2011-04-09T15:44:54+09:00
2011-04-09T15:44:54+09:00
2011-04-09T15:44:54+09:00
skyalley
ひと
4月7日午前2時45分
友人のセネガル人夫妻に
3364グラムの元気な男の子が誕生した
お二人とは二年前に留学生会館の日本語教室で知り合ってからのおつきあい
病院探しから始まって
妊婦検診 母親学級にもずっと付き添わせてもらい
おかげさまで私は出産に関するフランス語をたくさん憶えた
イスラムの伝統の一部を垣間見せてもらったことも忘れがたい
母国のセネガルでは 出産に立ち会うのは女のみ
ご主人は陣痛が始まってからも 躊躇する顔色
しかし痛みに耐え続ける奥さんの様子を見るに忍びなく
そのままいっしょに分娩室へ
奥さんの骨盤をマッサージする私に
身を捩って救いの手を求める奥さんを介抱しつづけるご主人が
まことにおごそかな面持ちで
こんなことを話し出した
コーランの中に こんな一節がある
一人の男が預言者に訊いた
もし一人を助けるとしたら 誰を助けたらいいのですか
すると預言者は応えた
「あなたの母親を助けなさい」
もし次ぎに助けるとしたら 誰を助けたらいいのですか
「あなたの母親を助けなさい」
次ぎに助けるとしたら 誰を助けたらいいのですか
「あなたの母親を助けなさい」
その次ぎに助けるとしたら 誰を助けたらいいのですか
「あなたの父親を助けなさい」
そしてそこまでなんだ 後はない
僕の母親は僕を入れて7人の子を産んだ
今まで呪文のように唱えてきた一節だけど
今 妻を見ていて
コーランの意味するところが初めてわかった
元気な産声を上げて この世に生まれ出た赤さんに初めて授乳をする前
ご主人が「小さなコップと きれいな水が欲しいんだけど」と所望
助産婦さんにお願いすると 彼女は訝しがりもせず
すぐに煮沸した水を用意して下さった
それを受け取ったご主人は
そのコップを手にすると 口を寄せて何かをしきりに呟いている
それから助産婦さんに助けてもらって その水で赤さんの口を湿らせる
残った水で奥さんの乳房を清め 赤さんは初めて母乳を口に含んだ
私は目の前で静かに進んでいることを 黙って見守っていた
病室に戻った奥さんと赤さんが眠った頃
私はご主人にさきほどの水のことを尋ねた
彼はコーランの数節を水に語っていたのだという
清く健やかに というような内容だから特別な意味はないけれど
どの節を語るのかは決まっていて
ずっとそのように伝えられて来たんだと言う
イスラム教徒の父親としての最初の役割を果たした思いが伺われた
赤さんの心音は安定しているが
陣痛の間隔が狭くなる
これは赤さんに励まされながら闘ったお母さんの記録だ
私はお産が終わって静かになった分娩室で写真を撮った
煙草を吸ってくるね とご主人に言うと
えっ 吸うんだっけ?!
そう 特別なときだけにね
私の応えに大きな笑顔で じゃ いいよ と言ってくれた
一足先に帰宅しようと外へ出る
病室から見えたケヤキの芽吹き
入院前に道中の公園で見た満開の桜をあらためて見上げながら
セネガル人のお二人と出会えたことを深く感謝した
孫を持つ身として
遥か彼方で無事出産の知らせを待っているご両親方を思いつつ
夜明けの町を駅に向かった
縁とは異なもの 味なもの だ
]]>
助産院アクア・バースハウスの山村先生
http://skyalley.exblog.jp/15674191/
2011-03-17T18:13:18+09:00
2011-03-17T18:13:11+09:00
2011-03-17T18:13:11+09:00
skyalley
ひと
2年前に来日 以来いっしょに日本語の勉強をしてきた
その彼女は この震災時に
4月5日の出産予定日を控えている
その日の午前中
彼女は助産院アクア・バースハウスでの検診を終え
昼食後 勉強のため私の家に来られた
同じ頃 やはり勉強に来られた文さんも交え
話をし始めたら あの地震が起こったのだ
航空会社の客室乗務員を務めている文さんのてきぱきとした声
0さんはすぐに勉強机の下に身を隠した
ようやく揺れが一段落したので
0さんに出てくるように伝えたが
あまりのおなかの大きさに はてさてどうやって出たものか
入るときは必死だったのだろう
体を横にしたり くねらせたりして ようやく出てこられたが
遠目で分かるほど体を震わせている
故郷アフリカのセネガルでは経験したことのない地震
来日してからの何度かの地震には比べものにならない
幸い同じ町に暮らしている文さんに同行してもらって
何とか住まいにしている留学生会館に帰っていった
それから待つこと数日 学術会議からようやく帰国したご主人の胸には
ヨーロッパで得られたわずかな情報
日本からの信じられない そして断片的な映像
ご夫妻は生まれてくる赤さんへの放射能の影響を考え
不安でいっぱいだ
明日の産婦人科への定期診察もできれば来週に延期したい
と電話をしてきた
はてさて どう応えたものか
私はアクア・バースハウスへ電話をした
代表助産師の山村先生が出られた
「あぁ 不安なんだねぇ かわいそうに
外国人の間じゃ あらぬ噂も立っているみたいだし
大使館員が帰国しちゃうんだからね
うちでも37週の妊婦さんが国へ帰るから
診断書を書いてって言ってきた
病院では書いてくれないからね
だけど日本は二度も原爆にあってるんだからねぇ
とはいっても始まらないしね
じゃ東京で放射能を一年間浴びても
一回のCT-SCANの放射能の量より少ないって
そう言ってみてくれる?
私だって怖いわよ
でも妊婦さんはもう産むしかないんだから
進むしかないんだから がんばってもらわなくちゃね
よっぽど怖かったら家へ来なさい って そう伝えて」
友人として フランス語の通訳として
0さんの出産に付き添う私も 慰められ 勇気づけられた
出産予定日を3週間後に控えた0さん
いつ産気づいてもおかしくない
どんなに自分を励ましていることだろう
アクア・バースハウスは次女がお産をした助産院でもある
山村先生ご夫妻を始め
スタッフの皆さんがおられれば
どんな状況であっても信頼しあってお産を迎えられるだろう
http://www.aqua-birthhouse.com/
]]>
「潔くもらってください」
http://skyalley.exblog.jp/14953718/
2010-11-10T09:39:00+09:00
2011-09-12T00:57:37+09:00
2010-11-10T09:39:59+09:00
skyalley
ひと
10月8日 奈良で開催された「遷都1300年記念祝典」
その舞台演出に携わったオットを労おうと
ご夫妻は 是非お食事に とお誘い下さった
「大変差し出がましい申し出ですが
式典の大成功に貢献なさった浩さんからね
お話を聴かせて頂けるのを 楽しみにしております
不躾な言い様ですが
もしおよろしければ 遠慮無くおいでくださいませね」
奥方は恐縮しいしい そう仰った
祝典のための二年間の準備期間
本番前の10日間の不眠不休に近かった日々から
オットが何とか復調し
学校の試験も終え 少しは人心地付いたところで
お言葉に甘えて 夫婦でご馳走に呼ばれた
場所は八幡山駅からすぐの料理屋「かわしまや」
http://www/kawashimaya.info/
店の主人夫婦の客あしらいを始め
料理も 盛りつけも 雰囲気も
すべて竹井ご夫妻ご贔屓とわかる店であった
翌週 小用があってお訪ねすると
会食の折に竹井氏自らが歓談の様子を撮影した写真を数葉下さった
「それにしても簡単なものだねぇ デジカメ ね」
そう言い残して 階上へ上がって行かれた
竹井氏 92歳である
私は付いて上がりたいような気がしたが
奥方は「だいじょうぶ」と目配せなさる
やがて何かを手にして降りてこられた
「う〜〜〜〜〜ん 何てカッコイイ!」
思わず奇声を発するほどの威厳ある8ミリカメラだった
とはいえ 器械音痴 ただ形からそう言うしかなかったが
氏は 「ニューヨークに駐在していた1950年頃に買ったの
BELL & HOWELL
もうフィルムがないから使うことは出来ないけれど
これでね よく撮ったのよ 家族をね・・・」
カメラを撫で回しながら 「よく撮りました」
手に乗せて頂くと ずっしりと沈むような重さだ
両手に持ち換える
シカゴ製
文字盤もレンズ類も 革の装備も 何もかも重厚だ
小さいながら威風堂堂
心が引き締まるような存在感
このレンズは よい物しか見ていない
ご子息達の成長や 50年代のニューヨークのお召し物の奥様
花好きの氏はセントラルパークの向かいに住んでおられたと聞いた
きれいな物や すてきな一瞬しか見ていないレンズだ
慣れた手つきでフィルムケースを開けて見せて下さりながら
氏が仰った
「息子にね これどうしよう って言ったんだが
彼は余り興味がないんだね こういう物には
おやじ インターネットのオークションで売ってみるか
と言うんだが 何だかね それもね・・・」
すると 氏の隣に座っておられた奥方が
くるっとご主人の方に向き直ったかと思うと
「おとうちゃま! これ由紀子さんに貰って頂きなさい
あなたの愛機なのだから 今は使えなくなったとしても
あなたが大事にしていたという気持ちは
浩さんと由紀子さんなら そのまま受け継いでくださるから
ね そうなさったら?
もし由紀子さんさえよかったら
ごめんなさい 勝手にこちらだけでこんなこと決めて」
氏 間髪を入れず 「うん それはいい考えだね!」
慌てた
オットはともかくも 写真など押して撮るだけしか知らない私に
どうしろと仰るのか
「いえ! いえ!! いいえ!!! 有り得ません
もうしばらくお手元に置いておかれてはいかがですか
何かよい案が見つかるかも知れませんし
活用できる方が現れるかも知れませんから」
精一杯お断りした
「いや もう決めたの
二束三文で どこの誰だかわからない人の手に渡るのは切ない
こんな重たっつらしの それも使えない物を押し付けられて
あなたもお困りになるかも知れないけれど
僕の気持ちを受け取って頂ければ 本当にありがたいの
由紀子さん
潔くもらってください!」
胆を決めた
「はい では潔く頂きます」 両手で押し戴いた
あらためてその重厚さを体に感じた
きちんとしていて すきがなく 威厳がある
その上に温かく 懐かしい・・・
端厳な竹井氏そのままを カメラに感じた
その時 私の携帯電話が鳴った
鞄から取り出そうとして 余りの軽さに取り落としそうになった
その「軽薄短小」を愛用している私の前に
BELL & HOWELL は置かれた
]]>
つれそって
http://skyalley.exblog.jp/14608748/
2010-09-16T14:54:00+09:00
2010-09-17T14:36:24+09:00
2010-09-16T14:54:55+09:00
skyalley
ひと
難しい病を得られたご主人と
八王子に暮らす友人に電話をした
話すにしろ まして会うにしろ
互いになかなか好機が得られぬが
それでも声を聴かせて頂くのはうれしい
話している途中で 一瞬笑みの含まれた声に変わった
そのまま互いの近況など語り合っていたら
ご自身の目の触りでそろそろ病院にでかける時間だ と
たいそうな雨なので運転は気をつけて と声を掛けたら
こんなことを仰った
「今 おかしいのよ
外出はできるだけ控えなければならない病気なので
ふだんは家で静かにしている夫が
僕も一緒に行って どこかで時間を潰そうかな と言いだしたの
そうしたら 何を着ていこうかと
さっきからわたくしの目の前でね
ひとりでファッションショーをしていたわけ」
60代と70代のご夫妻 半世紀以上を共に生きこられた人生
そしてお人柄が十分に忍ばれる
ご主人様のご容態の安定を
ご看病の友人のご自愛を祈って電話を切った
自分の声の余韻が残るほど 涼やかな雨の午後だ
]]>
田坂広志氏 「問いそのものが旧い」
http://skyalley.exblog.jp/14511827/
2010-08-20T15:37:00+09:00
2010-09-01T16:55:20+09:00
2010-09-01T15:41:52+09:00
skyalley
ひと
先日NHKの番組「MISSION」を観た
《 貧困や格差、人権の抑圧、環境、エネルギー、食糧・・・
世界には、解決困難と信じられてきたたくさんの課題があります。
「地球ドキュメント ミッション」は、
こうした課題を解決しようと「ミッション」達成に挑む人々が
立ちはだかる「壁」を突破する試みを、
密着ドキュメントで追います。
そして、「突破口」となる経験やアイデアを幅広く募り、
スタジオで当事者にぶつけてゆきます。
ひとりひとりの力が集まれば、「世界は変わる」―。
多くの人々の力を結集し、ミッション達成を後押ししていきたい。
番組に込めた、願いです。》
MISSIONの番組紹介にはこのように記されている
司会者は
「NHKニュース10」「サンデースポーツ」などの司会を務め
2008年3月NHKを退職されたアナウンサーの堀尾正明氏
その日 ミッション・マスターとして登場している田坂広志氏は
多摩大学大学院 教授
「社会起業家」を支援するフォーラムを主催
8000人の社会起業家を束ね、社会変革に取り組んでいる
経済一辺倒の考え方に代わる
新しい時代の生き方働き方を提唱する思想家
私が観たのは
「イギリス 移民女性を貧困から救う」であった
《イギリス有数の貧困地区、ロンドン東部のタワー・ハムレッツ。
バングラデシュなどのアジア諸国や、
ソマリア、ケニアなどのアフリカ諸国からやってきた移民たちが多く暮らす。
言葉や文化の違いから仕事につけず、失業率も高い。
中でも女性は、経済活動にかかわることがなかなかできなかった。
そんな女性たちの自立の道を探り、支援していくのが今回のミッション。
このミッションに挑むのは、
協同組合アカウント3の創設メンバー、トニー・メレデューさん。
活動開始から、およそ20年。
英語教室に始まり、
保育士などを養成する職業訓練、雇用創出など、
2万人の移民女性など、
助けを必要としている人たちにサービスを提供してきた。
中でも力を入れてきたのが、
これまで家庭に押し込められてきた女性たちの
無担保小額融資・マイクロクレジットによる起業。
これまで数百人もの女性の起業を助けてきた。》
(番組紹介サイトより)
そんな様子が映像を通して伝えられた後
司会者が質問を発した
「田坂さん こういった活動の経済的効果は どうでしょうね」
それに対しての田坂氏の応えのあらまし
そのような問いそのものが旧いのではないか
雇用が GDPがというパラダイムそのものが旧いと思う
アカウント3の創設メンバーたちは
政治家のように社会を 世界を変えようということを目論んで
活動を開始したのではない
目の前にいる苦しんでいる人をどう助けるか
一人でも多くの女性が希望の職につけるようとする努力
自分は何が出来るだろうという工夫
移民一人一人に対するきめ細やかな創意工夫
それはある意味のアートです
そしてそれに対する COMPASSION(共感)や
ENCOURAGING(励まし)が
結果的にはうねりとなって国を 世界を動かす
「パラダイムそのものが旧い」と田坂氏が発言された時の
司会者の顔には複雑な色があった
番組紹介にもあったように
このMISSIONは《ひとりひとりの力が集まれば、「世界は変わる」》と掲げている
「世界を変える」という大上段に構える視点からではなく
その「ひとりひとり」の活動に焦点を当てる番組である
パラダイムとは
「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想」から
「旧態然とした考え方」という意味まで
含みが多い言葉ではあるが
あの番組司会者として適切な問いであったとは思えない
田坂氏の指摘には説得力があった
司会者は最後に田坂氏に
アカウント3の代表者に贈る言葉を と投げかけた
「If you light up a small corner of a society,
you are the treasure of the society.」
一隅を照らす これ国の宝なり」(最澄のことば)
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「二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」
http://skyalley.exblog.jp/14363723/
2010-08-09T16:10:21+09:00
2010-08-09T16:10:21+09:00
2010-08-09T16:10:21+09:00
skyalley
ひと
8月7日 テレビで
「二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」を観た
番組解説によると・・・
今年1月、長崎市でひとりの被爆者が亡くなった。
山口彊さん93歳。
広島と長崎に投下された原子爆弾
双方に被爆したきわめて稀な人物である。
「二重被爆者、山口さん亡くなる」は、
ニューヨークタイムズ、BBCなど世界中のメディアで報じられた。
被爆後、60年間にわたり経験を語ることのなかった山口さんは、
息子を原爆症で亡くしたことをきっかけに、
89歳で語り部を始めた。
山口さんの最後の5年間を記録した映像からは、
悲惨な体験を思い出し慟哭しながら原稿を書く山口さんの姿、
初めての海外渡航を決意し国連で熱弁をふるう姿、
地元の学生たちに優しく語りかけた姿が記録されている。
なぜ二度被爆したのか、
なぜ沈黙し続けたのか。
そこには被爆者しか理解しえない深い悲しみがある。
「原爆の炸裂した瞬間を、
91歳になったいまなお、何度も思い出す。
熱線に灼かれ爆風に身をもがれ、
幽鬼のように逃げまどう人たちを私は二度見た。
そして、放射能を含んだ黒い雨に私は二度、うたれた。」
俳優の仲代達矢さんの朗読と、
ご本人のインタビューで、その悲惨な人生を、
被爆当時から再現映像を交えて描いていく。
http://www.nhk.or.jp/war-peace/swf/telemapplayer.swf?v=v100807_2000hv
アメリカ人の学生に
「そんな体験が育む憎しみがあるはずなのに
私たちに話すことができるのは なぜか」と問われて
山口さんは
「あなた方も人間です
話せばわかると思っています」と応えられた
勉強の合間にいっしょに番組を観ていた中学一年生の海人
その日の昼間
LEGOのロボット製作場で半田鏝(はんだごて)を使ってきた
「やじゃない? あんなの(二重被爆)
だってさ 今日ね 半田使っててみんな火傷してたけど
それはさ おっとぉ〜! ってなっても
その時だけだし あとで治るじゃん
それに自分のうっかりミスでしちゃったことでしょ
でもさ 被爆するなんてさ
あの人は何にもしてないのに あんなことになっちゃって
それであの人だけじゃなくて
周りの人もいっぱい大変なことになっちゃったんでしょ
えぇ・・・と 原爆落ちてから何年だっけ?
65年? ええっ 65年も?
65年も みんなずう〜〜っと嫌な思いしてきたんでしょ」
もしもあのお爺さんに会うことがあったら
海人 何て言う? と問うと
「え?! 会ったら? ん〜〜 かわいそう・・・?」
「あの人は可哀想と思ってもらいたくて
癌で入院してからも 色々な人に話をし続けたのかな」
「ん〜〜 ちがうな・・・
原爆はだめ ってことだよね
ん〜〜 もしも会ったらぁ?
原爆を使わないような方へ持っていきます かな」
「何を持っていくの?」
「ん〜〜 世界を・・・?」
「ほぉ すごいね 世界を動かすんだ」
「ん〜〜 それは無いか
オバマさんみたいになんなくちゃね
じゃ 原爆を使いません かな」
「誰が?」
「ぼくが?」
「私に訊いてるの?」
「うぅん ちがう 僕は使いません だ
絶対使いません?
あ 先生 《絶対》は死ぬこと以外に無い って言ってたよね」
「いいんじゃない そういうときは
原爆を使わない という考えや態度に
揺れがあってはならないんだから」
「ふぅん そうか じゃ 僕は原爆に絶対反対しますって言うのは?」
「そうだね 一人一人がそう思って
その考えで行動するのが基本だね
山口さん 喜んでいるよ
海人少年がそう決心したって知って
さ 勉強 勉強」
「え! やっぱりやるの?!」
「二重被爆 ヒロシマ ナガサキを生き抜いた記録」
8月15日(日) 午後1時半からBShiで再放送される
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南直哉氏講演 「それがなかったらアウト」
http://skyalley.exblog.jp/14303270/
2010-07-31T11:35:00+09:00
2010-07-31T11:46:30+09:00
2010-07-31T11:35:50+09:00
skyalley
ひと
29日夜 新宿の紀伊國屋ホールで
青森恐山の山主代理
南 直哉(じきさい)氏の講演会があった
曰く
「仏教では
人生はせつなくて哀しくて苦しくて辛いものと断じている
ならば
最後まで勇気を持ってどうやって生きるか
これが大切です」
「幽霊はいてもいなくてもどうでもいい
が 魂は他者との関係の中でしか育たない
だってそうですよ
そうでしょう
どうみたってそうでしょう」
「(息子を観ていて)私が思うに
赤ん坊が笑うのは
あれは よろしくねぇ と 媚びてるんです
遺伝子のレベルで そうするようになっているんです
これでかいですよ」
「魂の種を植えてくれるのは母親です
ただ ぼろっと 人は
これほど無意味で無力に生まれてくる存在です
親や身近な人に よく生まれてきました という受け皿
これが無くて
知らないよ といわれたらアウトです」
「母親の《愛情》という物凄い権力で
あなたのことは私が一番よく知っている と育てられた子
独裁者の父親に育てられた子
互いに愛している 愛されていると思っているが
言うことをきいたら という取引上の関係です
こどもはやがて 荒れる か 引き籠もります」
「誰かに そこにいてくれるだけでうれしい と
言ってもらわない限り
人は生きていけんのです」
大きめの扇子を使いながら
講談師さながらの南氏の講話は
実に説得力があり
同行した長女と共に満足して帰途に着いた
なおこの時の講演録を基に
来年新潮社より新書として刊行予定とのこと
それにしても 書いて良し
(「恐山あれこれ日記」 http://indai.blog.ocn.ne.jp/)
話して尚良し の南氏であった
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