触ることからはじめよう
by skyalley
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自由な家で自分をさがすこと

いつのころからそうなったのか 
私の家は常に誰にも開かれている雰囲気を持つようになりました

特に最初一人だった英語の生徒さんから
だんだんに数が増えて教室らしい形になってからだと思いますが
毎日みえるお弟子さんたち
オットの仕事の打ち合わせのひと
私の友人
オットの友人
共通の友人
突然立ち寄ってくださる人なども含めると
訪れる人が誰もいない という日は稀です

今年26歳と23歳になる二人の娘達はそんな家で育ちました

オットと私そして長女が
この家の雰囲気を創っていく過程の当事者だったとすると
最年少のももは私たち三人が試行錯誤して得た自由な暮らしの中に
ポン と置かれたような存在として生まれてきた感があります

ももはこの自由な家でずっと「自分」を「自分の居場所」を探している存在でした

小さかった頃は私の教室で同級生と英語を勉強したこともありましたが
自分の家で自分の親に習っている という気安さからか
勉強日をうっかり忘れて友達と約束をしてきたり
代わりの日を決めてもそれも忘れてしまったり という風で
家も教室も彼女にとって愉しいところではなかったようです

友人達から「両親とも自由業の自由な家」と羨ましがられても
ももにとっては何のいいことも見出せないまま
結局早くから家を離れて外の世界に自分の居場所を探しにでかけました

20歳になって大阪から久しぶりに帰ってきたももがいいました
「かあさんもこう(父)さんも
自分の仕事について文句を言っているのを聞いたことがなかった
って家を離れて初めて気づいたよ」

私たち夫婦はそれぞれに好きなことをしてきました
会社員でもなく何の団体に属しているわけでもないので
いわゆる社会的な保障は何もありません
しかし それは気軽である ということでもあります
自分たちの良かれと思うことを愉しみながら試行錯誤してやってきましたから
自分で決めた仕事に対し文句を言うどころか
自由にやってきてそれで何とか暮らして来られたことをありがたいと思っています
そのことが結果的に
私たちの周囲のひとびととも分かち合える愉しみになることがしばしばです

4月末に出産のためこの家に帰ってきたももは
50数日間 教室の隣の部屋に暮らしていました
受業が終わると勉強に見える方達の熱心な様子に感心したり
ささやかな進歩をわがことのように喜んだり
議論された内容に対して自分の考えを述べたりして
間接的ながら受業に愉しんで参加しているももがいました

「かあさん もも英語の勉強したいんだけど 
 どうするかねぇ・・・」

出産後母子共に健やかでいられたことを初め
次女が家にしみじみといてくれた50数日間に
うれしいこと ありがたいことは数々ありましたが
彼女が本当はずっとしたいと思っていてできなかった英語の勉強に
一歩踏み出せたこともその一つです

彼女がどんな勉強を始め 愉しんでいるかはまた次回に
by skyalley | 2006-06-18 23:47 | ひと
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