触ることからはじめよう
by skyalley
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「痛かべ 痛かべ・・・」


3月11日からほぼ5ヶ月が経とうとしている
その間に たとえば「脱原発」という意見に対し 
賛成・反対・決めかねる・無関心など
程度の差こそあれ 人々のこころにはさまざまな思いがよぎり
その思いを元に 
何か行動を起こす人・起こさない人・決めかねる人・無関心な人
またさまざまな対応が見られた


8月7日に 生まれて初めての街頭での脱原発の署名活動をし
そのことを余計に強く感じている
それらの違いはどこから来ているのだろう
そのことが この頃私の胸を去来する


3月の震災直後の写経会で
詩人の原子朗氏が写経場正面に飾られている自書の扁額を指した
「一如 いちにょ と読みます
 一つの如く 
 わたしとあなたは一つの如く 境は無い ということです」


原先生は宮澤賢治研究の大家でおられる
当時の その時々 その状況で
賢治に起こったことを 先生ご自身に起きたかのように肉迫し
賢治になりきらんばかりになって 賢治を感じ 書き 語る



・・・まだ八つか九つの頃 友だち数人と路上でメンコをして遊んでいた時
友だちの一人がメンコを取ろうとして荷馬車に人差指を轢き切られたのを、
小さい賢治は「痛かべ、痛かべ」といいながら、思わずその傷ついた指を
自分の口の中に入れてやった、という話が伝えられておりますが
これは他人の苦痛を自分の苦痛として生理的に感ずる鋭敏な感受性の
衝動的な動きであった、と思われます・・・
(『雨ニモマケズ』谷川徹三 講談社学芸文庫)



原子力発電所事故という人的惨事という現実を前にして
科学技術の進歩を今まで以上に迷わず謳歌するひと
科学の世界に身を置きつつ 頭を垂れ逡巡しつつ闘っているひと
この大きな開きは何だろう
このことが私を戸惑わせる
どこで 何が なぜ こんな大きな隔たりを生むのだろう


「一如」
応えの鍵の一つかも知れない


大震災で起きたことを 
どこか遠く離れたところで 誰か他の人に起きたことと思わず
ここで わたしに起こったこととして捉えられるかどうか
ひとごとではなく わがこととして捉えられるかどうか
一如


 
by skyalley | 2011-08-17 15:45 | 一枚の葉を森へ(no nukes)
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